2013年07月28日

初めて日本に移住したスイス人・・・フランソワ・ペルゴ

幕末、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる横浜に上陸したのが、スイス人フランソワ・ペルゴです・・・彼は国を開いて間もない1860年に時計12個を携えて来日しますが、当時の日本では、スイスとの通商は認められていなかったので、ペルゴはフランス人として滞在を許されました・・・初めて日本に移住したスイス人・・・フランソワ・ペルゴ

そして1864年には、エドワード・シュネルと共同で商社を設立しますが、ご存知の通りシュネルは、幕末の混乱に乗じて、銃の売買に血道を上げペルゴとは完全に袂を分かつ事となります・・・

当時の日本では不定時法が使われていましたので、西洋の定時法の時計が実用品として売れる訳はなく、ペルゴ自身も、生活の為に炭酸ガス入り清涼飲料・・・つまりサイダーの会社を設立します。シュネルが銃の取引に手を染めたのもそんな訳があるのでしょうね・・・

1873年にようやく日本に定時法が導入されて、ペルゴの商社もこれからと言う1877年にペルゴは僅か42歳でこの世を去り、横浜の外人墓地に葬られていますが、彼の遺言執行人として、James Favre-Brandtが友人としてなっているのも、フランソワ・ペルゴとジェームスが深い交誼を結んでいた事を知ることが出来ます・・・

画像は、日本人の友人?半蔵と撮られたフランソワ・ペルゴです・・・

そしてまたフランソワ・ペルゴの時計に対する思いは、150年経った今でも、ジラール・ペルゴ社として、高級機械時計を作り続けている事は驚くべき事ではないでしょうか・・・

ただ残念なのは、このペルゴの高級時計が我が腕に輝くステータスを私は持っていない事ですけれどね・・・face02

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この記事へのコメント
こんにちわ
またジェームズさんのお知り合いのお話ですね。
しかも、炭酸飲料販売もなさっていたとか。興味津々です。
横浜で炭酸飲料の会社が明治改元早々に作られていたとはしりませんでした。
炭酸飲料は、一部私の想像ですが、その後明治30年代、おそらく1904年にはじめて日本に高圧ガスボンベ(二酸化炭素)を輸入する機動力となっています。

間違いなくラムネ製造のために輸入したと記録に残っているのは、今も現存する高圧ガス販売店の鈴木商館の歴史に、その翌年1905年となっていますが、業界の資料によると、ボンベの初輸入はその前年なので、炭酸ガスの用途から考えても、炭酸飲料製造くらいしか考えられないのです。

ちなみに、炭酸飲料もその当時は軍用にいい値で売れていました。海軍の戦艦に積む必要性があったようです。
Posted by 高圧ガス販売店の品格 at 2013年07月31日 07:01
☆高圧ガス販売店の品格さん。こんにちは・・・
ご指摘の通り、本日立ち上げました記事に
ペルゴ社の広告宣伝にレモネード・・・ラムネと
ありましたから、確かにそう思います。また、
この炭酸飲料会社は、色々なシロップやワイン
アルコール飲料などの取引もしているところから
ロゼやシャンパン様のものも製造していたんでしょうか・・・
Posted by shin344shin344 at 2013年07月31日 10:57
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