2009年07月31日

魔の100段・・・・

昨日のクソ暑い中、根岸森林公園にある「馬の博物館」に行って来ましたよ・・・根岸台に至る、100段階段・・・皆さんヒーヒー言いながらの行軍でした・・・







この辺はまだ緩やかな勾配で良かったのですが、間もなく地獄の階段が・・・・





やがて、えらいこっちゃの急階段です・・・それでも大昔の人はこれが当たり前で上へ下へと移動したんでしょうね・・・





この階段を登りきったところで、十数人がぐったりと休んでましたよ・・・登りきったところの家の人、ゴメンナサイ!!家の前で怪しいオッサン達がヒーヒー言っているのはきっと、「何事!!」と思われたのかも知れませんねーー・・・  


Posted by shin344 at 21:44Comments(2)日記

2009年07月28日

横浜ラーメン博物館・・・

久し振りに一人で来て見ました。分かっているけれど、やっぱりシニア料金で入れるのはショックです・・・60歳以上の私たちが何で割引料金なのか、社会からの褒美なのか・・・でも、せっかくなので、享受させて頂きましょう・・・





これが、60歳以上シニアの証拠です・・・






せっかくラー博、シニア料金100円で入れたのに、結局ラーメンは食べませんでした・・・



地下には、昭和30年代の町並みが見事な位に再現されています・・・私は学生時代にこんな町並みの中で下宿していましたので、何だかごく自然に入り込めてしまいますが、もしかしましたら、若者や、子どもは、異次元の世界に来たと感じるのでしょうか?



映画好きだった母に連れられて、こんな町並みの映画館に行きました・・・女子どもはこんな町に出入りしてはならん!と言う父の目を盗んでの事、万一、父にバレても、息子が観たいと言うので、と言ういわば出汁にされた訳ですなぁ・・・あの世のおっかさんや!!  


Posted by shin344 at 18:38Comments(6)日記

2009年07月23日

我が家の水事情・・・

40年間以上に渡って、電気分解したアルカリイオン水を使っています・・・胃腸に良い?健康に良い?・・・その様な理由での継続は私には絶対に出来ません。ただひとつ、「美味しい」・・・その水が美味しい、その水を使って炊いたご飯が美味しい、コーヒーを淹れると尚美味しいなんです・・・


さて、そのアルカリイオン整水器ですが、この度、2台(代)目が壊れまして、修理に4~5万円かかると言う事と、それが壊れたらもはや部品がないと言う理由で修理は止めて、新しいものを購入して来ました。

それを決定するまでの約一ヶ月間、水道水をそのまま使っていましたが、気のせいなのかどうかは分かりませんが、舌に刺さるような感じと後味の悪さがありました・・・

早速、一杯の水を飲んで見ましたが、うん!これはボルビックに負けない美味しい水だ!!・・・  


Posted by shin344 at 09:55Comments(0)日記

2009年07月21日

幼くても・・・

職場の庭にゴーヤとキュウリが並べて植えてあります・・・同じ瓜科なので、似たような花が咲きましたけれど・・・



幼くてもキュウリはキュウリ・・・立派なキュウリが「臍の緒(花)」をつけて育ちつつあります・・・


こちらはゴーヤです・・・これもどうです?小さいけれど立派なゴーヤですね・・・人間でも動物でも、植物でも赤ちゃんの頃は可愛いものなんですね。




この人間の赤ちゃんも可愛いでしょう?・・・この可愛いキュウリとゴーヤと一緒に映った「手」の持ち主ですけれど・・・  


Posted by shin344 at 17:00Comments(2)日記

2009年07月19日

Favre-Brandt(ファブル・ブラント)13.・・・

私が自分のブログで、幕末から明治、大正時代の日本に時計、測量機器、武器を輸入して文明開化に大いに貢献したスイス人James Favre-Brandtの事を紹介して来ましたところ、彼の子孫の方、彼の兄の子孫の方、そして商館時計の蒐集及び研究家の方からご連絡を受けました・・・と、言う事は前にお話ししましたが、今日はその商館時計の蒐集及び研究家の「大川伸功(おおかわのぶよし)」氏から、膨大な資料をお送り頂きました。

大川伸功氏は時計蒐集とその時計にまつわる時代背景を研究する方で、特に商館時計の研究をライフワークにされています。ものすごい智識量には本当に圧倒されてしまいますよ・・・
平成10年から「世界の腕時計」と言う専門誌にこのシリーズとして連載を続けておられます。「大川伸功」氏のキーワードで検索できますから興味のある方はどうぞ・・・ブリキのおもちゃ館長の北原氏が、「鑑定団」に出演していますが、腕時計、懐中時計、商館時計の鑑定コーナーでもあれば確実に出演される資格があるものと思います・・・


因みに、大川伸功氏から依頼を受けていますのは、James Favre-Brandtの子孫と是非お会いして、お話しを聞きたいと言うことなんですが、James Favre-Brandtの子孫の方のご都合で、未だ実現していません・・・実現するまで、気長に待ちますと言われましたが、未実現でこんな立派な資料をお贈り頂いて、本当に恐縮です。James Favre-Brandtのページを充実させる為にも、この膨大な資料を使わせて頂きます。ありがたくも嬉しいことです!!因みに、タイトルを飾る商館の版画は、横浜175番地のFavre-Brandt商会のもの、終始一貫してこの図です・・・これもまた嬉しい限りです・・・  


Posted by shin344 at 17:27Comments(0)横浜今昔物語

2009年07月15日

横浜風景・・・

今日は、利用者さんの誕生祝い食事会にお相伴をさせてもらいました。場所は横浜スカイビル27階の「クルーズクルーズ」・・・ビュッフェ方式で、平日とて、周りは全て女性ばかり・・・そして、景色の素晴らしい事、これが絶妙な味付けでした・・・



横浜西口方面です・・・真ん中の細長いビルは、横浜駅ビルですよ・・・


横浜みなとみらい地区方面です・・・ランドマークタワーが見えます・・・


新横浜方面を望みます・・・遠くに爪楊枝の頭みたいな建物が見えますか?円筒形の新横浜プリンスホテルです・・・


さてさて、頂いたのは、これ・・・実は一回目・・・face08


そして二回目、これはマグロとカンパチのにぎり寿司です・・・このにぎり寿司を10皿食べている利用者さんがいましたけれど、それ程美味しかったですよ・・・face03


そして、三回目・・・これはもうデザートばっかりです。ついつい雰囲気の良さと利用者さんの食べっぷりの良さに釣られて過食気味でした。総量規制で夕食は、抑えて置きましょうかね・・・cake_01  


Posted by shin344 at 20:03Comments(2)日記

2009年07月13日

豚足と海ブドウと・・・

今日は、ある施設の人に、セミナーの講演をお願いに行きました・・・講演の重要さを口説きつつ、ビールと沖縄料理を頂きましたよ・・・口説きつつ 海ブドウや 口溶けぬ、かな・・・




これは、ご存知薩摩揚げです。その辺薩摩揚げとは一味も二味も違う美味しいものでした・・・
そして、今日のハイライト、「豚足」です・・・つまり豚の足(そのまんまかな・・・)です。牛タンとかモツとかのゲテモノは絶対にダメな私ですが、まぁ、相手もご一緒していることもあって、勇気を奮って頂きました・・・お味は、プルンプルン・・・コラーゲンの塊、もしもこの形が違うものなら、何食わぬ顔をして食ったかもね・・・

61年生きて来て初めて口にした味です・・・そして、プリプリの海ブドウですが、撮影失敗でした・・・これも61年の人生で初めての味です・・・  


Posted by shin344 at 22:01Comments(0)日記

2009年07月10日

ヒルサイド・・・

利用者さんたちのプログラムの一環として、横浜開港150周年記念のイベント、ヒルサイドに行って来ました・・・



・・・が、やっぱり何を言いたいのか、横浜開港とどのような関連性があるのかは分かりませんでしたけれど、まぁ、良いか・・・


これは、ヒルサイドに向かう前、ズーラシアで皆と食べたチャーシュー麺・・・もちろん皆さんは色々とスパゲッティーや冷し中華とかを食べてましたけれど、私はこれ!!・・・前に開国博の会場で食べた本当のイベント食に比べたら一応動物園内のレストランと言う事で・・・比べるのが違うのかも知れませんね・・・美味しかったですよ・・・noodle_01face02  


Posted by shin344 at 19:42Comments(2)日記

2009年07月10日

Favre-Brandt(ファブル・ブラント)12・・・

4月17日にアップしました写真の裏書ですが、先日連絡頂いたスイス人でJames(ジェームス) Favre-Brandtの兄Charles(チャールス) Favre-Brandt曾孫の友人に翻訳をお願いしましたら、この通りでした・・・・

De la part de tes sœurs Sophie et Adèle
d'après une photographie prise à
Lausanne le 1 mars 1903

Yokohama 21 avril 1903 (signature)

【妹達SophieとAdeleがロザヌで1903年3月1日に撮った写真を(兄様)に贈る。横浜、1903年4月21日】

James Favre-Brandtの下2人の娘ソフィーとアデルです・・・この2人の娘の母親はJamesの夫人「松野 久」が若くして亡くなり、久の姪「松野 くま」を後添えにしましたがその「くま」の産んだ娘2人なんですが、この「くま」もわずか25歳で早世してしまいました。Jamesはこの幼いソフィーとアデルの手を引いて、皇室招待のガーデンパーティーや公式の宴席に連れて行ったそうです。

小説家長谷川伸が「よこはま白話」の中で「・・・元居留地で労役をやっていた私が、毎日のように(女児の手を引く)老いたるこの西欧人をみたのはその晩年であった」と幼いソフィーとアデルの手を引くJamesの姿に一点の孤愁を感じ取った一文を残しています。ソフィーとアデルのその後の人生についてはまた別の機会に・・・  


Posted by shin344 at 13:44Comments(0)横浜今昔物語

2009年07月04日

Favre-Brandt(ファブル・ブラント)11・・・

このシリーズ、大分ご無沙汰していました・・・幕末に開港したばかりの横浜へ、スイスの通商使節団と共に渡って来たJames Favre-Brandtは使節団が目的を果たして解散した後も横浜へ残り、時計、武器などを扱う商人として「 Favre-Brandt(ファブル・ブラント)商会」を設立、戊辰戦争の折には、長岡藩、薩摩藩へ武器を供給し、日本の西洋時計普及に力を注ぎましたが、彼自身はほとんど自分の功を語らず、あまりその活動が知られていないのが現状です・・・

James Favre-Brandtは横浜に居住して、大正12年に軽井沢で死亡しています・・・折りしも関東大震災で自らの商館が倒壊する一ヶ月前の事、商館倒壊を目にしなかったのが、せめてもの幸いだったのかも知れません。

ところで、「河井継之助とファブル・ブランドと長岡戦争と」「ファブル・フラント1~10」と少しづつアップして来ました。誰が読んでくれるのか、きっと誰も見てくれないのだろうな、とは思っていました。別に誰に読んで貰わなくても日記の一端としてだからどうでも良いのですが、それでも、読んで下さる方はいたようで、沢山の「宝物」を頂いて居ります・・・何よりの嬉しい事です・・・

その宝物のひとつです。James Favre-Brandtの画像は現在同じ頃の椅子に座ったものは良く目にしますが、この写真は珍しいと思います・・・

そしてこの写真、4人息子の長男Francois(フランソワ) Favre-Brandtの写真もそうなんですが、長男と思っていたものが、実は次男だったようです。その経緯は後で触れる事もあると思います。

まず、去年夏頃にこのFrancois Favre-Brandtの子孫の方からお便りを頂き本当に驚いてしまいました・・・しかも、その事をブログアップしましたら、関西の有名な時計コレクターそして研究家の方から是非ともJames Favre-Brandtの子孫とお会いしたいとコンタクトがありました。

そして、最近スイスから、James Favre-Brandtの兄、Cherles(チャールス) Favre-Brandtの子孫の友だちからお便りを頂き、第二次大戦以降散り散りになってしまったJames Favre-Brandtの子孫同士が是非会いたい、会わせたいとのお話しとCherles Favre-Brandtのその後の家系図などが送られて来まして、私の身辺はもう宝の山状態です。

私のJames Favre-Brandt研究が何歩も前進したのは事実です・・・キャーワー!!(これ、嬉しい悲鳴ですface03)  


Posted by shin344 at 18:08Comments(0)横浜今昔物語

2009年07月03日

中国人?に振り回された・・・

何だか国際問題のようなタイトルですが、何て事はありません・・・昨日今日と東京芝で研修があって行って来ましたが、その内容よりも、気になった事です・・・


会はこんなに良いロケーションのところで開かれましたよ・・・この森閑としたところは、浜離宮です。遠くに高層ビル、近くに江戸時代の遺物、東京を象徴するようでした・・・

そうそう中国人の話しですが朝はラッシュを回避して相当早く会場に着きましたので近くの立ち食い蕎麦屋さんで、蕎麦とカレーライスのセットを注文・・・食券を見た店員さん(言葉の抑揚から多分中国人)曰く「蕎麦は温かいのと冷たいのどちら?」と聞くので、迷わず「冷たいの」と言ったのに、何と出て来たのは温かい蕎麦・・・食べ物の事で怒るのも大人げないので、心の中でだったら確認するなよと苦笑しつつ、黙って頂きました。


さて、会も終わり、同行した職員さんたちと昼飯を食べに浜松町駅近くの定食屋へ・・・ここの店員さんも、何故か中国人らしいしゃべり方・・・それでも注文を終わってビール下さいと言うと「生か?」と言うので、いや、ビンビールと言うやその店員さん「ビンビールはいないよ」・・・いやいや笑った!・・・もちろん店員さんがいない時にですけれど・・・

何だか食堂の労働力は中国人などアジア人に代わりつつあるんですかね。


帰りは芝増上寺から東京タワーを見物してきました・・・息子が小さい頃一度だけ来ましたので懐かしかったですね・・・  


Posted by shin344 at 18:04Comments(0)日記