2012年05月26日

浅草~御徒町~秋葉原へぢい散歩・・・

定年後にこんな暇な生活になるのは嫌なので、いえ、定年後に気が緩んで寝たきりになるのはもっと嫌なので、今の内に観たい所は観ておきたいと散歩しまくっています・・・



浅草の手前「田原町」で降りて、浅草寺方面に歩きますと、突然目の前に怪鳥が・・・なっ!なんなんだ!!・・・墨田区のお祭りのイベントのひとつのようでした・・・



しつこく追いかけて行って正体を確かめに行きましたら、私の前で威嚇していましたっけ・・・写真では良く分からないかも知れませんが、頭に被っているのは、何と「やかん」でした・・・威嚇したって全然怖くない!!・・・それよりも周りの人はこの怪鳥には何ひとつ気を払っていませんが、実はその道の奥で美女が踊っていたのです・・・



東京踊りでも踊っていたのでしょうか・・・それにしても、前のオジサンの「はげ」邪魔だなぁ。カメラを上に上げてモニターを見ないで撮ったら入ってしまいました・・・オジサンが悪い訳では無いですね・・・face04



開業したばかりのスカイツリーに別れを告げて上野方面に向かいました・・・スカイツリーは、7月11日から当日券販売をするそうですので、後でゆっくりと登りに来ようと思います・・・


上野駅・・・東北から出稼ぎや集団就職で上京した人が、初めて東京に触れる懐かしい駅・・・かく言う私も逆に東北へ逃げ出そうとほとんど終電車でここ上野駅まで来ましたが、東北への列車の一本も無く、行くに行けず戻る戻れず、駅前の小さな旅館に泊まったのを思い出します・・・まだ20歳代の事です・・・ま、そんなこたぁどうでもいいんです・・・





その後は「AKB64」・・・秋葉原に突入!!・・・ディープな裏町から入って行きますが、アメ横と同じく、何時来ても、飽きない街ですねー・・・ああ!堪能しましたface05  


Posted by shin344 at 17:56Comments(0)日記

2012年05月23日

確かにその通りです・・・

【構内(教習所の構内)で出来ない事は、路上では出来ません!!】・・・インストラクターのK先生からビシッと言って頂きました。まさにその通りと思います・・・2時限の教習を受ける内、緊張時間が続きますと、ある一瞬に脳の糸が突然切れる事があります・・・

脳と手と足のバランスが、1時限50分ですから、2時限目の20分位過ぎた時、突然パニックに襲われます・・・何か何だか分からないうちに、ブレーキを踏むべきをアクセルを踏んでア(ク)セル!!!face08

あれって本当に不思議な感覚です・・・良く高齢者がコンビニにアクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んだなんて事故を聞きますが、不思議なんてのんびり構えてはいられませんね・・・

こんな調子だと、まだまだでしょうけれど、一体何時になりましたら路上に出られるでしょうかね・・・

せめてもの慰めに、今走行しているコースについて記憶を頼りに修正に修正を重ねて作って見ました・・・  


Posted by shin344 at 21:49Comments(0)日記

2012年05月22日

仕事の整理…

何十年にも渡って交換した名刺達サヨウナラ!…一体何百枚あったのか、わかりませんが、次に私の仕事を引き継ぐ人に取りましては無用の存在…




名刺の相手の顔を思い起こして…思い出せない顔もありますが…ちょっとセンチメンタルジャーニー!…ついでに私の名刺もほとんど処分…定年で仕事を辞める人の気持ちが、今ちょっと分かった気がします…face03  


Posted by shin344 at 12:36Comments(0)日記

2012年05月19日

渋谷ヒカリエから神保町へぢい散歩・・・

今日は仕事も休み、教習所も予約が取れませんでしたので、渋谷の「ヒカリエ」へ行って見ました・・・噂ではものすごい、何かが出来たとか、お台場まで直通で行けるとか聞いて駆けつけて見ました・・・若者の街渋谷なので、所詮、若者受けのするショッピングモールを想像していましたが・・・想像通りでした・・・




若者でごった返していました・・・だからと言ってそれに抵抗しても仕方がないので再び半蔵門線に揺られて神保町の古本屋街で古本探しをしました・・・

やっぱり年寄りには此方の方が100倍も安心します・・・もう少し足を伸ばして秋葉原などと思いましたが、古本探しに街を2周もしてしまい、思いの他時間をロスしましたので止めました・・・
万引きしようと思えば、店の人の目もなく、簡単に出来そうなほど、本屋の裏の路地まで古本が並んでいて、呆れるばかりですが、古本探しをする人に万引きしてまで読むと言う意識はないのだろうと思います・・・「本は買って読め、家は借りて住め」と良く言われますが、私もタダでしかも不正に手に入れた本など読みたいとも思いませんしね・・・そんな心理を本屋さんはとっくに見抜いているんでしょうけれど・・・


神保町の駅は、もうホームから古本街のイメージが始まっています・・・学生の頃はお金がないので、音楽書専門の古賀書店に通いました。あの頃と全然変わっていない懐かしい街散策でした・・・肝心の本は、今探している2冊の本、砂浜からダイヤの一粒を探すようなもので、残念ながらみつかりませんでした・・・  


Posted by shin344 at 17:31Comments(0)日記

2012年05月11日

紫蘭(しらん)・・・

「鉢植えの紫蘭の花・・・朝の雨に打たれ~息絶え絶えに~・・・」その紫蘭が今年も咲きました・・・



昔昔・・・私の父にこの花、何の花と聞きましたら一言「知らん」・・・父は農業大学出身者・・・ふーん、父でも知らない植物があるんだーって思いました・・・  


Posted by shin344 at 21:01Comments(0)日記

2012年05月05日

絵で見る幕末日本・・・

1863年(文久3年)に日瑞(スイス)修好通商条約を締結するためにエメェ・アンベールが、ジェイムス・ファーブル・ブラントやカスパー・ブレンワルドらの一行6人が来日し、やがて開港間もない横浜で条約締結活動をします。しかし、及び腰の幕府は彼らの要求を数ヶ月先延ばししますが、アンベール達はその期間、じっくりと当時の日本を観察し情報を集めていました・・・

通商使節団の団長であるエメェ・アンベールは鋭敏な観察力や才能豊かな筆致で当時の日本見聞録を残し今こうして日本語訳を目に出来る事は本当に幸せです・・・上記ジェームス・ファーブル・ブラントのことは、私自身のHPに特集しましたものの、HPを立ち上げられたことに満足してしまい一昨年の暮れから、一歩の進化もありませんface10

当時、外国人は一定の範囲内しか通行が出来なかったこともあり、今考えて見ると、ちょっと変だなって思う箇所もありますが、逆にあの時代に良くこれだけの観察をしたものだと感心してしまいます・・・

今、横浜開港資料館でこの時同行した、シーベル・へグナー社の創始者、カスパー・ブレンワルドの日記も翻訳されつつありますので、これも完訳が待たれます・・・

ジェームス・ファーブル・ブラントの日記もあったそうですが、関東大震災で失われたそうです・・・それが残っていたら、このエメェ・アンベールの見聞録やカスパー・ブレンワルドの日記のように、生き生きとこの頃の混乱の幕末日本を饒舌に語ってくれたでしょうと残念です。

興味のない人には、それが?どうしたの?・・・ってな本かも知れませんが、ファーブル・ブラントが日本でどのように行動したかなども、うかがい知ることが出来て・・・熟読2回目に入ります・・・  
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Posted by shin344 at 17:47Comments(0)日記

2012年05月03日

今年のハナミズキ・・・

去年の今頃もこのハナミズキしっかり咲いていたはずですが、私の関心は全く別のところにあったようで、去年のハナミズキをこんな風にじっくり鑑賞した記憶がありません。原発からの放射性物質のお陰で、あまりきれいに咲かなかったのかと思ってしまいました・・・

その関心事とはもちろん、原発に追われて逃げ惑っていた義兄夫婦と老母、幼い子ども達、総勢20人を越える親戚の行く末でした。去年の今頃は彼らが、一体何時浪江の故郷に帰る事ができるのか、これから当分は帰る事が不可能なのか全く先の読めない焦燥感ばかりでした・・・

そんな訳で、もしかしたら今年に負けない位見事に咲いたはずのハナミズキの記憶が全然ないのです・・・
そう言えば去年の桜も花見をした記憶がありません・・・sakura_01


私の住む町たまプラーザ、ハナミズキ通りです・・・春はこの花、秋は赤い実が目を楽しませていますが、避難している人たちの故郷は彼らが帰るのを拒み続けています・・・  


Posted by shin344 at 10:08Comments(0)日記