2019年11月17日
忙中閑ありて・・・・
定年退職して以来、貧乏暇なしと言いますが何やかやと忙しい毎日ですが、ポッカリと空いた一日、その日の勤めが箱根駅伝のコース1国(国道一号)沿いですからチャ~ンスとばかり箱根方面へ車を走らせました・・・
箱根は先日の台風で大変な被害があったところなので、一体どんな状況になっているのかと気になっていました・・・
駅伝のコースは表から見る限り元通りに復旧している様子でしたが、箱根登山鉄道はズタズタになっているそうです・・・
何故箱根がそんなに気になるか、と言いますと駅伝ばかりでなく、手近な遊び場で、二ノ平辺りの宿泊施設で友人と大酒を飲んだり、彫刻の森で遊んだり、前職の利用者を引率したり、息子とキャンプをしたりと、何かと思い出が深いのです・・・
そんな箱根・・・裏街道から芦ノ湖方面に出ようとしましたら、この通り通行禁止がありました・・・反射的に原発事故で立ち入り禁止された道路を連想してしまいました・・・
早く復旧すると良いですね・・・
ここまで来ましたら、60年も昔に祖父母が晩年を過ごした伊豆山に行って見ました・・・祖父母はとうの昔に鬼籍の人で当然ここに祖父母が居たと言う空気は全くありませんが、驚いた事に住んでいた小さな家が残っていました・・・
私は10歳位でしたが、夏休みはここ伊豆山の祖父母宅を訪ねるのが楽しみで、この周りを駆けずり回って蟹とりをしたり祖父と散歩したり、海へ行ったり、熱海の街へ行ったり楽しい思いが今でも脳裏を過ります・・・
そして私が帰る際には祖母がこの家の前で何時までも見送ってくれました・・・いくら可愛い孫でも一週間も一緒に暮らしたら祖父母もかなり疲れたはず、名残りが惜しいと言うより「やれやれ」だったのは、私も孫を迎える身として良く分かりますけど・・・
祖父は毎朝6時には判子で押したように散歩に出る人で私も眠い目を擦りながら一緒に歩きました・・・
祖父と良く行った「伊豆山神社」です・・・境内には「源頼朝」所縁の腰掛などがあり行って見たいとも思いましたがここにこんな石段があったとは記憶違い・・・若かったり幼い頃ならきっとスタスタ登ったのでしょうが、今はそんな気力なし・・・・
ここは祖母の実家です・・・10年位前に電話番号を調べてこのお宅に連絡を取って見ましたら、私の祖母の記憶はもとより祖父母がこの地に住んだ記憶も記録もこのお宅には全くありませんでした・・・
実家と言えどもそんなものでしょうね・・・私の祖父母の記憶も私や私の従姉妹達の中にあるだけで、私達が死んだらもう永遠の彼方に消えてしまうんでしょう・・・そして私達もまた・・・
それでも60年前に記憶を馳せられるって嬉しかったですね・・・そして60年前にはもっと家も道路も大きかったように思いますが、小さくて狭くてびっくりしました・・・・
箱根は先日の台風で大変な被害があったところなので、一体どんな状況になっているのかと気になっていました・・・
駅伝のコースは表から見る限り元通りに復旧している様子でしたが、箱根登山鉄道はズタズタになっているそうです・・・
何故箱根がそんなに気になるか、と言いますと駅伝ばかりでなく、手近な遊び場で、二ノ平辺りの宿泊施設で友人と大酒を飲んだり、彫刻の森で遊んだり、前職の利用者を引率したり、息子とキャンプをしたりと、何かと思い出が深いのです・・・
そんな箱根・・・裏街道から芦ノ湖方面に出ようとしましたら、この通り通行禁止がありました・・・反射的に原発事故で立ち入り禁止された道路を連想してしまいました・・・
早く復旧すると良いですね・・・
ここまで来ましたら、60年も昔に祖父母が晩年を過ごした伊豆山に行って見ました・・・祖父母はとうの昔に鬼籍の人で当然ここに祖父母が居たと言う空気は全くありませんが、驚いた事に住んでいた小さな家が残っていました・・・
私は10歳位でしたが、夏休みはここ伊豆山の祖父母宅を訪ねるのが楽しみで、この周りを駆けずり回って蟹とりをしたり祖父と散歩したり、海へ行ったり、熱海の街へ行ったり楽しい思いが今でも脳裏を過ります・・・
そして私が帰る際には祖母がこの家の前で何時までも見送ってくれました・・・いくら可愛い孫でも一週間も一緒に暮らしたら祖父母もかなり疲れたはず、名残りが惜しいと言うより「やれやれ」だったのは、私も孫を迎える身として良く分かりますけど・・・
祖父は毎朝6時には判子で押したように散歩に出る人で私も眠い目を擦りながら一緒に歩きました・・・
祖父と良く行った「伊豆山神社」です・・・境内には「源頼朝」所縁の腰掛などがあり行って見たいとも思いましたがここにこんな石段があったとは記憶違い・・・若かったり幼い頃ならきっとスタスタ登ったのでしょうが、今はそんな気力なし・・・・
ここは祖母の実家です・・・10年位前に電話番号を調べてこのお宅に連絡を取って見ましたら、私の祖母の記憶はもとより祖父母がこの地に住んだ記憶も記録もこのお宅には全くありませんでした・・・
実家と言えどもそんなものでしょうね・・・私の祖父母の記憶も私や私の従姉妹達の中にあるだけで、私達が死んだらもう永遠の彼方に消えてしまうんでしょう・・・そして私達もまた・・・
それでも60年前に記憶を馳せられるって嬉しかったですね・・・そして60年前にはもっと家も道路も大きかったように思いますが、小さくて狭くてびっくりしました・・・・