2013年10月30日
タフ寿司にて・・・
最近、外食の機会もあまりありませんが、伯母を訪問した帰りにここ、あざみ野の「タフ寿司」と言う回転寿司屋さんに寄りました・・・近くで合唱練習している老妻が、仲間と時々寄るそうで、回転する寿司よりは「ランチメニュー」が旨いらしい・・・早速頼んで見ました・・・
私はこれ、「ネギトロ丼」です・・・グループホームのメニューにも良く見かけるんですが、ネギトロ丼って本当は何か知りませんでしたし、従って作ったこともありませんでした。食べて見て、初めて納得行きました・・・
これは老妻の頼んだ「海鮮丼」とやら、これも時々メニューにありますが、何しろ限られた予算の中で考えるメニューですから、中々こういった豪華(?)な魚介類を散らす訳にも行きませんねぇ・・・
お味は、見た目と同じで美味しかったです・・・ただ、ちょっと残念は食器がかなり使い込んであり、丼の塗りが禿げ禿げだったことでした・・・
その帰りにあざみ野の奥、剣山スポーツガーデンにオープンした「あざみ野ガーデンプレイス」と言った複合商業施設に寄ってみました・・・物価は少し高いようにも思えますが、珍しい食べ物やら色々と楽しめそうなところです・・・
老妻は夢中で買い物をしていましたが、私は何となく手持ち無沙汰で、駐車場でぽつねんと私たちの帰りを待つ小さな「愛車」をファインダーに納めました・・・
私はこれ、「ネギトロ丼」です・・・グループホームのメニューにも良く見かけるんですが、ネギトロ丼って本当は何か知りませんでしたし、従って作ったこともありませんでした。食べて見て、初めて納得行きました・・・
これは老妻の頼んだ「海鮮丼」とやら、これも時々メニューにありますが、何しろ限られた予算の中で考えるメニューですから、中々こういった豪華(?)な魚介類を散らす訳にも行きませんねぇ・・・
お味は、見た目と同じで美味しかったです・・・ただ、ちょっと残念は食器がかなり使い込んであり、丼の塗りが禿げ禿げだったことでした・・・
その帰りにあざみ野の奥、剣山スポーツガーデンにオープンした「あざみ野ガーデンプレイス」と言った複合商業施設に寄ってみました・・・物価は少し高いようにも思えますが、珍しい食べ物やら色々と楽しめそうなところです・・・
老妻は夢中で買い物をしていましたが、私は何となく手持ち無沙汰で、駐車場でぽつねんと私たちの帰りを待つ小さな「愛車」をファインダーに納めました・・・
2013年10月28日
麻婆豆腐講習会・・・
ふとしたきっかけで「本格的麻婆豆腐を習おう!」と言う講座を受けました・・・麻婆豆腐ってグループホームでも時々調理して結構喜んで貰っていますものの、お店で食べるものとはちょっと違ってどうも納得の行かないものがありましたので講座を受けました・・・
四川料理の「SHUN(しゅん)」のシェフによる説明と実施を傍聴する形式ですが、人様が調理する様子をあまり観る機会がない私ですので、しっかりと学ぶ事が出来たかと思います・・・
長ねぎを秒速でみじん切りにする技にビックリ!!
その後は、ご飯やら大根と豚バラのスープ、杏仁豆腐などが付いて、その麻婆豆腐を頂きました・・・美味しかった。コツは?色々と教えて貰いましたが、一にも二にも火加減と油にいかに香りと美味しさのエッセンスを移すかにあるように思えました・・・
その内、ホームの皆さんにもご馳走しよっと・・・
四川料理の「SHUN(しゅん)」のシェフによる説明と実施を傍聴する形式ですが、人様が調理する様子をあまり観る機会がない私ですので、しっかりと学ぶ事が出来たかと思います・・・
長ねぎを秒速でみじん切りにする技にビックリ!!
その後は、ご飯やら大根と豚バラのスープ、杏仁豆腐などが付いて、その麻婆豆腐を頂きました・・・美味しかった。コツは?色々と教えて貰いましたが、一にも二にも火加減と油にいかに香りと美味しさのエッセンスを移すかにあるように思えました・・・
その内、ホームの皆さんにもご馳走しよっと・・・
2013年10月18日
あの顔・顔・顔いったい何処に行ったのか・・・
孫が生まれました・・・孫が生まれて見て初めて思うのですが、その孫の父親(つまり私の息子ですが)の生き方、私ら爺、婆の生き方、そして私の親や、祖父母や伯父伯母の生きて来た道それらは連綿と「初孫」に引き継がれているのを感じます・・・そんな思いの中、ふと祖父母が残した古いアルバムを開いて見ました。その中には我が家の希望の星でありながら23歳の若さで戦死した伯父の血もしっかりと繋がっています・・・
海軍兵学校68期の卒業生に、作家「豊田 譲」氏が居られて、68期の生徒達の行く末を追った「同期の桜」と言うノンフィクションを記しています。その68期には私の伯父も居りました・・・豊田氏の本の裏表紙には、「この若者達の顔・顔・顔・・・何処へ行ったのだろう」と副題がありました。
68期の兵学校生徒は、戦雲垂れ込める中異例の300名を募集しましたがその大半が戦死しました・・・伯父も昭和17年7月5日にアッツ島沖で駆逐艦「子日」と共に戦死しました。母である私の祖母は短歌でこんなものを残しました・・・「我が吾子や 藁をも掴まん その時に 母の姿を 思い出しにか」・・・息子が名誉の戦死の母などとは全く関係ない悲しさを感じます・・・
海軍兵学校68期生の、多分、水練の後の集合写真でしょうけれど、この中の皆さんは、ほとんどが23歳24歳で南方や北方の各戦線で散ってしまった若者達でした・・・
戦争など美化された部分も多くありますが、自分の将来の為にもっともっと思い切り生きたいはずの若者達がこうして死にざるを得ない・・・孫や子ども達には絶対にそんな人生を送らせてはならないと写真の中の若者達の顔が話しかけて来るような、思いがしています・・・
海軍兵学校68期の卒業生に、作家「豊田 譲」氏が居られて、68期の生徒達の行く末を追った「同期の桜」と言うノンフィクションを記しています。その68期には私の伯父も居りました・・・豊田氏の本の裏表紙には、「この若者達の顔・顔・顔・・・何処へ行ったのだろう」と副題がありました。
68期の兵学校生徒は、戦雲垂れ込める中異例の300名を募集しましたがその大半が戦死しました・・・伯父も昭和17年7月5日にアッツ島沖で駆逐艦「子日」と共に戦死しました。母である私の祖母は短歌でこんなものを残しました・・・「我が吾子や 藁をも掴まん その時に 母の姿を 思い出しにか」・・・息子が名誉の戦死の母などとは全く関係ない悲しさを感じます・・・
海軍兵学校68期生の、多分、水練の後の集合写真でしょうけれど、この中の皆さんは、ほとんどが23歳24歳で南方や北方の各戦線で散ってしまった若者達でした・・・
戦争など美化された部分も多くありますが、自分の将来の為にもっともっと思い切り生きたいはずの若者達がこうして死にざるを得ない・・・孫や子ども達には絶対にそんな人生を送らせてはならないと写真の中の若者達の顔が話しかけて来るような、思いがしています・・・