2014年07月25日
驚きました・・・
かかりつけの医師に定期通院しました・・・ここは前の職場からの延長でその直ぐ近くですが、辞めてから丸々2年間、職場の近くにも寄る気が全くありませんでしたが、今日は車で行った為もあり、直ぐ横を通りました・・・
26年間も勤めた場所ですから、外から一見しただけで、中がどうなっているのか、一目瞭然で分かるのですが・・・驚きました・・・ガラス張りの玄関に何と施設創始者A翁の銅像が鎮座ましましているではありませんか・・・
思いっ切り笑ってしまいました・・・私は在職中に、その玄関には訪れた方に憩いをと思い、職員が縁日で買って来た「亀」とか「金魚」とかを飼っていましたが、私を追い落とした理事長兼更生保護施設施設長様は、こんな程度の虚勢を張る為・・・A家を世襲する為にこの2年間頑張って来たのでしょうね・・・更生保護施設って犯罪者の更生を助けるところです・・・精神の病いで入所を希望する人が最初に接するのがこの偉そうなA翁の銅像・・・こんな事で人が集まるなんて全く何を考えているんだか・・・
職員さんにも、きっとこんなナンセンスに反対した人も居たでしょうけれど、所詮、ご自分の生活がかかっているしそれに逆らえば破滅されかねませんから、こんなダサい銅像を置くなんて事に何もいえないのでしょうね・・・
帰りの車から写した、「都筑まもるくん」の雄姿です・・・A翁の威圧的でつまらん銅像を飾るより、この「都筑まもるくん」でも置いたらどうですか・・・
26年間も勤めた場所ですから、外から一見しただけで、中がどうなっているのか、一目瞭然で分かるのですが・・・驚きました・・・ガラス張りの玄関に何と施設創始者A翁の銅像が鎮座ましましているではありませんか・・・
思いっ切り笑ってしまいました・・・私は在職中に、その玄関には訪れた方に憩いをと思い、職員が縁日で買って来た「亀」とか「金魚」とかを飼っていましたが、私を追い落とした理事長兼更生保護施設施設長様は、こんな程度の虚勢を張る為・・・A家を世襲する為にこの2年間頑張って来たのでしょうね・・・更生保護施設って犯罪者の更生を助けるところです・・・精神の病いで入所を希望する人が最初に接するのがこの偉そうなA翁の銅像・・・こんな事で人が集まるなんて全く何を考えているんだか・・・
職員さんにも、きっとこんなナンセンスに反対した人も居たでしょうけれど、所詮、ご自分の生活がかかっているしそれに逆らえば破滅されかねませんから、こんなダサい銅像を置くなんて事に何もいえないのでしょうね・・・
帰りの車から写した、「都筑まもるくん」の雄姿です・・・A翁の威圧的でつまらん銅像を飾るより、この「都筑まもるくん」でも置いたらどうですか・・・
2014年07月25日
レオン・・・
それとなくTVを観ていましたら、丁度1994年作の「レオン」を放映していました。随分昔の映画で、私も何度か観た映画ですが、今回観た感想は殺し屋レオン役のジャン・レノは言うに及ばず、家族全員を殺されてしまったマチルダ役のナタリー・ポートマンから目が離せなくなってしまいました・・・
当時わずか13歳にしてこの演技力・・・話しの内容は、少々血生臭く少年少女には見せたくない映画ですが、大人の女性と少女の間を行ったり来たりする演技にはまさに脱帽・・・
それを引き立てるジャン・レノも、人命軽視(なんせ殺し屋ですから・・・)を抜きにしても、やっぱり素晴らしい・・・
さて、天才子役は子役のうちが花なんて事はざらですが、ナタリー・ポートマンの方は、その後の活躍が素晴らしいそうです・・・
ただ、あっ、「レオン」の「マチルダ」だって言う印象ではありませんから、それ程「レオン」での印象が強かったのでしょうか・・・
当時わずか13歳にしてこの演技力・・・話しの内容は、少々血生臭く少年少女には見せたくない映画ですが、大人の女性と少女の間を行ったり来たりする演技にはまさに脱帽・・・
それを引き立てるジャン・レノも、人命軽視(なんせ殺し屋ですから・・・)を抜きにしても、やっぱり素晴らしい・・・
さて、天才子役は子役のうちが花なんて事はざらですが、ナタリー・ポートマンの方は、その後の活躍が素晴らしいそうです・・・
ただ、あっ、「レオン」の「マチルダ」だって言う印象ではありませんから、それ程「レオン」での印象が強かったのでしょうか・・・
2014年07月18日
福島慰問旅・・・
ご無沙汰しました・・・少し長い夏休みを先取りして、いわき市の義母、義兄夫婦、その息子夫婦に二人のヤンチャ坊主の計7名を慰問して来ました。それらは言わずと知れた浪江町から3LDKのマンションに納まって、なんだかんだの喧騒の中神経を磨り減らして生きてきましたが、ようやく今住んでいる近くに家を建てたそうで、お祝いがてら、彼らの喜ぶ姿が見たくて・・・
小さい私の愛車で何処まで辿り着けるかは不安でしたが、どうやら往復をまっとうしました・・・土浦辺りの大型ショッピングセンターで休憩中です・・・
去年も確か今頃水戸に行ったのですが、駅前で水戸黄門様の一行と・・・
黄金の納豆が出迎えてくれましたっけ・・・
ところで夜になって水戸市街へ出て見ましたら、街路樹が連なっているのですが、その街路樹から、例えようもない騒音・・・蝉が数千匹鳴いているような、工事現場の掘削音のようなけたたましい音がしていました・・・下を歩く女子高生が「キャーキャー」と言って逃げ惑っているのは何と鳥の糞爆弾でした・・・
そう、騒音の元は大量の鳥(地元の人も鳥の種類は分からないようでしたが)が街路樹をねぐらにしたようで、ここ数年でこんな事になったと半ば諦めていましたよ・・・
泊まった小さなビジネスホテルからふと隣のビルを見ますと、寂れた屋上に犬が飼われていました・・・誰も居ず、誰も通らない屋上に、大きな犬が寂しげにじっと後姿を見せていました・・・
翌日は、笠間の日動美術館へ行って来ました・・・静かな落ち着いた美術館ですが今の催しものとして「岸田劉生」展が開かれていました・・・岸田の娘を描いた「麗子像」の絵はあまりにも有名ですが、岸田はこの「麗子」を本当に愛したようで、ありとあらゆるところに「麗子」のイメージが散りばめられていました・・・
このポスターは、麗子ではありません、近所の娘らしいのですが、その娘の心まで描かれているのには本当に感動ものでした・・・
実はこの写真館内でカシャ!って撮ったら、係りの人が飛んで来て館内での撮影はおことわりと叱られてしまいました・・・
館内と言っても、廊下だったので、ここなら良いのかなと思ったのですが・・・ゴメンなさい・・・と言いつつアップしてゴメンなさい・・・
ここは、彫刻の庭です・・・撮影はもちろん自由・・・竹林に囲まれた素晴らしい環境にマッチする彫像達・・・
しばし別世界を旅した快い時間でした・・・
この美術館から、4~5kmも離れたところに、春風萬里(しゅんぷうばんり)荘があります・・・山の中、ほとんど場所を示す立て看板も無い中、苦労してぐるぐると回りましたがやっと辿り着きました・・・
静かな山里に建つ「北大路魯山人」が北鎌倉の住居をここ笠間に移築した春風萬里荘です・・・
庭には魯山人が捻ったと思われる陶器がさり気なく置いてありましたし・・・建物の中にも沢山展示されていました・・・言い古された評価ですが、私も豪快かつ繊細、飾り気を排除したこの陶器の数々とても気に入りました・・・
大好きな縄文式土器を彷彿とさせました・・・
庭園からも「北大路魯山人」の思いが伝わって来ました・・・
いやー、良い目と心の保養をさせて貰いました・・・
ところで、自分の慰問だけで、福島の方は一体どうなったの?・・・これからいよいよいわき市に向かいます・・・
最高にロケーションの良い小名浜のホテルに皆で集まって楽しく歓談したり、お酒を飲んだりしました・・・
故郷を追われて3年間、色々な葛藤と戦いながらもやっと永住の地を得た事、本当に良かったと思います・・・
震災直後に訪れた時と比較して、皆本当に表情が明るくなってほっとしました・・・
長距離を爆走して来た我が愛車も、静かに休んでいます・・・
一番奥から2番目の車です・・・
翌朝の同じアングルですが、霧が海の方から押し寄せて来ました・・・ホテルの人が言う事には、最近良く霧が発生するとの事でしたが、あの忌まわしい原発事故と関連して考えてしまうのは私だけでしょうかね・・・
新しい家はこれだけしかお見せ出来ませんが、前述のように3LDKに7人が詰め込まれた生活からは脱出できると言う事でとても皆嬉しそうでした・・・どこかの大臣が「所詮金目」と下品な事を言っていましたし、故郷を追われて家を建てると言う事に対して冷たい目で見る人も居るようですが、故郷を捨てざるを得なかった苦しみや、ぎゅうぎゅう詰め避難生活を経験した人の方がずっと強いし偉いです・・・「誰がなんと言おうと思おうと、自分達の生活は自分で守る」と力強く話していました・・・
帰りはいわき市から横浜まで、一気に帰りました・・・途中何回か休憩したものの、何と7時間以上かかってしまいました。
家に着く直前に、あざみのガーデンプレイスに寄って、最後のエネルギー補給、ロースカツ定食を頂きました・・・さぁ、明日からまた淡々とした日常に戻ります・・・福島の人達の喜ぶ顔と、自分の心の洗濯をして、疲れましたが良い慰問旅でした・・・
小さい私の愛車で何処まで辿り着けるかは不安でしたが、どうやら往復をまっとうしました・・・土浦辺りの大型ショッピングセンターで休憩中です・・・
去年も確か今頃水戸に行ったのですが、駅前で水戸黄門様の一行と・・・
黄金の納豆が出迎えてくれましたっけ・・・
ところで夜になって水戸市街へ出て見ましたら、街路樹が連なっているのですが、その街路樹から、例えようもない騒音・・・蝉が数千匹鳴いているような、工事現場の掘削音のようなけたたましい音がしていました・・・下を歩く女子高生が「キャーキャー」と言って逃げ惑っているのは何と鳥の糞爆弾でした・・・
そう、騒音の元は大量の鳥(地元の人も鳥の種類は分からないようでしたが)が街路樹をねぐらにしたようで、ここ数年でこんな事になったと半ば諦めていましたよ・・・
泊まった小さなビジネスホテルからふと隣のビルを見ますと、寂れた屋上に犬が飼われていました・・・誰も居ず、誰も通らない屋上に、大きな犬が寂しげにじっと後姿を見せていました・・・
翌日は、笠間の日動美術館へ行って来ました・・・静かな落ち着いた美術館ですが今の催しものとして「岸田劉生」展が開かれていました・・・岸田の娘を描いた「麗子像」の絵はあまりにも有名ですが、岸田はこの「麗子」を本当に愛したようで、ありとあらゆるところに「麗子」のイメージが散りばめられていました・・・
このポスターは、麗子ではありません、近所の娘らしいのですが、その娘の心まで描かれているのには本当に感動ものでした・・・
実はこの写真館内でカシャ!って撮ったら、係りの人が飛んで来て館内での撮影はおことわりと叱られてしまいました・・・
館内と言っても、廊下だったので、ここなら良いのかなと思ったのですが・・・ゴメンなさい・・・と言いつつアップしてゴメンなさい・・・
ここは、彫刻の庭です・・・撮影はもちろん自由・・・竹林に囲まれた素晴らしい環境にマッチする彫像達・・・
しばし別世界を旅した快い時間でした・・・
この美術館から、4~5kmも離れたところに、春風萬里(しゅんぷうばんり)荘があります・・・山の中、ほとんど場所を示す立て看板も無い中、苦労してぐるぐると回りましたがやっと辿り着きました・・・
静かな山里に建つ「北大路魯山人」が北鎌倉の住居をここ笠間に移築した春風萬里荘です・・・
庭には魯山人が捻ったと思われる陶器がさり気なく置いてありましたし・・・建物の中にも沢山展示されていました・・・言い古された評価ですが、私も豪快かつ繊細、飾り気を排除したこの陶器の数々とても気に入りました・・・
大好きな縄文式土器を彷彿とさせました・・・
庭園からも「北大路魯山人」の思いが伝わって来ました・・・
いやー、良い目と心の保養をさせて貰いました・・・
ところで、自分の慰問だけで、福島の方は一体どうなったの?・・・これからいよいよいわき市に向かいます・・・
最高にロケーションの良い小名浜のホテルに皆で集まって楽しく歓談したり、お酒を飲んだりしました・・・
故郷を追われて3年間、色々な葛藤と戦いながらもやっと永住の地を得た事、本当に良かったと思います・・・
震災直後に訪れた時と比較して、皆本当に表情が明るくなってほっとしました・・・
長距離を爆走して来た我が愛車も、静かに休んでいます・・・
一番奥から2番目の車です・・・
翌朝の同じアングルですが、霧が海の方から押し寄せて来ました・・・ホテルの人が言う事には、最近良く霧が発生するとの事でしたが、あの忌まわしい原発事故と関連して考えてしまうのは私だけでしょうかね・・・
新しい家はこれだけしかお見せ出来ませんが、前述のように3LDKに7人が詰め込まれた生活からは脱出できると言う事でとても皆嬉しそうでした・・・どこかの大臣が「所詮金目」と下品な事を言っていましたし、故郷を追われて家を建てると言う事に対して冷たい目で見る人も居るようですが、故郷を捨てざるを得なかった苦しみや、ぎゅうぎゅう詰め避難生活を経験した人の方がずっと強いし偉いです・・・「誰がなんと言おうと思おうと、自分達の生活は自分で守る」と力強く話していました・・・
帰りはいわき市から横浜まで、一気に帰りました・・・途中何回か休憩したものの、何と7時間以上かかってしまいました。
家に着く直前に、あざみのガーデンプレイスに寄って、最後のエネルギー補給、ロースカツ定食を頂きました・・・さぁ、明日からまた淡々とした日常に戻ります・・・福島の人達の喜ぶ顔と、自分の心の洗濯をして、疲れましたが良い慰問旅でした・・・
2014年07月02日
試行錯誤の結果・・・
「鯖の味噌煮定食」・・・学生の下宿(下宿と言っても自炊ですが)時代、近くの満福食堂でふところが少し温かいと、決まって食べたのがこれでした・・・お金が無い時は自炊したり、玉子丼だったり、安い麺物だったり・・・今でも鯖の味噌煮と言いますとこの頃の事を思い出します・・・
このところ失敗が続いたこの「鯖の味噌煮」ですが、やっとどうやらしっとりとしたものが、完成しました・・・前回の失敗の一因は、鰯の梅干煮の圧力鍋料理をした時、水気(煮汁)が少な過ぎて焦がしてしまった経験から、煮汁をたっぷりにしてしまった事・・・旨みと脂分が流れ出てしまったんですね・・・
そして適度な量の煮汁に流れ出した旨みを片栗粉で封じ込めて、煮揚がった鯖にかけました・・・これで、旨み脂たっぷりの「鯖の味噌煮」が出来ました・・・今回、これにゴボウも一緒に炊きました・・・
このところ失敗が続いたこの「鯖の味噌煮」ですが、やっとどうやらしっとりとしたものが、完成しました・・・前回の失敗の一因は、鰯の梅干煮の圧力鍋料理をした時、水気(煮汁)が少な過ぎて焦がしてしまった経験から、煮汁をたっぷりにしてしまった事・・・旨みと脂分が流れ出てしまったんですね・・・
そして適度な量の煮汁に流れ出した旨みを片栗粉で封じ込めて、煮揚がった鯖にかけました・・・これで、旨み脂たっぷりの「鯖の味噌煮」が出来ました・・・今回、これにゴボウも一緒に炊きました・・・