2008年08月30日
還暦+1年を迎えて・・・
生まれて初めて還暦+1年目を迎えましたが、何とも不思議な気分です。
「♪村の渡しの船頭さんは~ことし六十のおじいさん」と言う童謡が、まず腹立たしくなりました。おじいさんじゃーない!と言う反発と、私も歳を取ったものだなぁと言う感慨。人間誰でも歳を取るものとは頭では分かっていても、それでもいざ歳を取って見ると何かうろたえを感じるのは、いずれ死ぬことが分かっていながらも、その段になるとうろたえてしまう気持ちと同じかなぁー・・・
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「♪村の渡しの船頭さんは~ことし六十のおじいさん」と言う童謡が、まず腹立たしくなりました。おじいさんじゃーない!と言う反発と、私も歳を取ったものだなぁと言う感慨。人間誰でも歳を取るものとは頭では分かっていても、それでもいざ歳を取って見ると何かうろたえを感じるのは、いずれ死ぬことが分かっていながらも、その段になるとうろたえてしまう気持ちと同じかなぁー・・・
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2008年08月25日
呪縛解放計画について・・
40年間に渡り、貯まりに貯まった家財道具を只今、処分しまくって居ります。どうしてこんなに不要な物ばかり貯まるんでしょうか?答えは簡単、「物持ちが良い」と言う美名と「思い入れ」がないまぜになった結果と、見つけました。
この厄介な呪縛を解放すると、案外簡単に捨てる事が出来るんです。私は独り息子ですから、我祖先が残した数々の物品が集まるのは当然・・私の父親がその私財の大部分をあの世とやらへ持って行きましたものの、私がまたまた、貯めに貯めたようです。
お金やら財産なら、良かったのかも知れませんが、そちらの方の執着心は無いので、困ったものです。
さて、その呪縛解放計画なんですが、その一
私の前の世代が残した遺物は全て処分すること。私の両親及び祖父母が意味を感じて、大切に保存していた物品の数々、今私が共通の意味で使用している物以外は全て処分しました。
呪縛解放計画その二
私が死んだ後、息子が私の遺物を整理するはずです。その際に確実に捨てられると思われる物は処分すること。独りで債務から逃げ回っている内に命を落とした父の遺品は私が一人で片付けました。何でこんな、下らない物ばかり貯めたんだろう?と思う想いと、改めて
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この厄介な呪縛を解放すると、案外簡単に捨てる事が出来るんです。私は独り息子ですから、我祖先が残した数々の物品が集まるのは当然・・私の父親がその私財の大部分をあの世とやらへ持って行きましたものの、私がまたまた、貯めに貯めたようです。
お金やら財産なら、良かったのかも知れませんが、そちらの方の執着心は無いので、困ったものです。
さて、その呪縛解放計画なんですが、その一
私の前の世代が残した遺物は全て処分すること。私の両親及び祖父母が意味を感じて、大切に保存していた物品の数々、今私が共通の意味で使用している物以外は全て処分しました。
呪縛解放計画その二
私が死んだ後、息子が私の遺物を整理するはずです。その際に確実に捨てられると思われる物は処分すること。独りで債務から逃げ回っている内に命を落とした父の遺品は私が一人で片付けました。何でこんな、下らない物ばかり貯めたんだろう?と思う想いと、改めて
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2008年08月12日
しっちゃかめっちゃか・・・
何だか訳が分からなくなったパニック状態のことを私はこんな風に表現します・・・
そして今の私がそんな状態・・・ひと~つ(1)、私の借りている賃貸マンションのリフォームと言う話しが俄かに出て、約40年間に渡って自然に溜まったゴミだか、宝だか分からない物の数々を片づけても片づけても次から次へと出てくる出てくる・・・もう、半分、ヤケッパチです。偽山師の父が、私や父自身の財産らしきものを、綺麗さっぱりと無くした時は、随分悔やんだ物もありましたけれど、そういう無くし方もまた良いなぁ・・・
これは、横浜市営地下鉄の内側扉です・・・記事とは何ら関係ないのですが・・・
災害などで、失いたく無い物を不本意に失った人にはゴメンなさい・・・いっその事そうやって無くしたらまた諦めもつくのかも知れませんけれど。事実父の失敗の時は、世の中の全ての物事が全て失われたらどんなに救われるだろうかなんて実に得手勝手な考えも過ぎりましたよ。リフォームに約一ヶ月かかり、その仮住まいに際限のない荷物運びをしていますが、もう完全に「しっちゃかめっちゃか」です。
ふた~つ(2)、息子が結婚するって、それは良いのですが、結婚相手の家族にせっつかれているのか、何だか分かりませんが、息子の奴、やけに結納式の形式だ蜂の頭だとせっつくんです・・・
私たちは8月17日に先方の両親に会いに行くし、私は私の仕事はすると言っても、何故か息子は納得しません・・・はて?こんな石頭に育てたのかしらん?・・・いずれにしろ私と息子はほとんど話しませんから、これは絶対に会話が必要・・・明日お盆休みで息子が帰ってからゆっくり話そう!と言いましたが、これもまた「しっちゃかめっちゃか」・・・どうなることやら・・・ハァー
みいっつ(3)、そして、PCや電話ですがたった一ヶ月位の移動でも、工事やら、何だかんだと大掛かりになりそうですから、それもまた面倒です。一ヶ月間携帯電話で繋いで、とあがきにあがいた結果、そう結論付けました、やれやれ、三重苦の「しっちゃかめっちゃか」・・・いえいえ、仕事上も「しっちゃかめっちゃか」が山積み・・・早くフリーになりたいよー・・・そして約一ヶ月間、お休みしますけれど、また再開は致す積りです・・・「真景横濱今昔」の写真をしっかりと撮り溜めて置きたいと思います・・・ハイ!
そして今の私がそんな状態・・・ひと~つ(1)、私の借りている賃貸マンションのリフォームと言う話しが俄かに出て、約40年間に渡って自然に溜まったゴミだか、宝だか分からない物の数々を片づけても片づけても次から次へと出てくる出てくる・・・もう、半分、ヤケッパチです。偽山師の父が、私や父自身の財産らしきものを、綺麗さっぱりと無くした時は、随分悔やんだ物もありましたけれど、そういう無くし方もまた良いなぁ・・・
これは、横浜市営地下鉄の内側扉です・・・記事とは何ら関係ないのですが・・・
災害などで、失いたく無い物を不本意に失った人にはゴメンなさい・・・いっその事そうやって無くしたらまた諦めもつくのかも知れませんけれど。事実父の失敗の時は、世の中の全ての物事が全て失われたらどんなに救われるだろうかなんて実に得手勝手な考えも過ぎりましたよ。リフォームに約一ヶ月かかり、その仮住まいに際限のない荷物運びをしていますが、もう完全に「しっちゃかめっちゃか」です。
ふた~つ(2)、息子が結婚するって、それは良いのですが、結婚相手の家族にせっつかれているのか、何だか分かりませんが、息子の奴、やけに結納式の形式だ蜂の頭だとせっつくんです・・・
私たちは8月17日に先方の両親に会いに行くし、私は私の仕事はすると言っても、何故か息子は納得しません・・・はて?こんな石頭に育てたのかしらん?・・・いずれにしろ私と息子はほとんど話しませんから、これは絶対に会話が必要・・・明日お盆休みで息子が帰ってからゆっくり話そう!と言いましたが、これもまた「しっちゃかめっちゃか」・・・どうなることやら・・・ハァー
みいっつ(3)、そして、PCや電話ですがたった一ヶ月位の移動でも、工事やら、何だかんだと大掛かりになりそうですから、それもまた面倒です。一ヶ月間携帯電話で繋いで、とあがきにあがいた結果、そう結論付けました、やれやれ、三重苦の「しっちゃかめっちゃか」・・・いえいえ、仕事上も「しっちゃかめっちゃか」が山積み・・・早くフリーになりたいよー・・・そして約一ヶ月間、お休みしますけれど、また再開は致す積りです・・・「真景横濱今昔」の写真をしっかりと撮り溜めて置きたいと思います・・・ハイ!
2008年08月08日
真景横濱今昔・・・掘割川切通し
現在の南区高砂町辺りから、中村、蒔田村の間の「弥八ヶ谷戸」を切り通して中村川を根岸湾に通した大事業が行われました。明治3年(1870年)の事です。当時は水運の便を根岸湾に通じさせる事と、現堀割川周辺の湿地帯(この元湿地帯の中に我職場もあるんです・・・だから?)の水はけを良くする目的がありました。この切通し作業は現在の技術や、当時の欧米の技術を導入して行えばもっと早く開通するのにと思いますが、そこには日本人のプライドがあったのかは分かりませんが、人海戦術でかなりの期間をかけて行われたそうです・・・
中村町の山手から見た掘割川への分岐点です。左側に見える大きく湾曲しているのは現吉野町辺り、吉田新田の始まりの地、こんもりとした、お三の宮日枝神社が望めます。そして中村川がクイっと鋭角に左側に延びている先が堀割川になります・・・今では同じ場所から撮影してもこのような様子はとても垣間見る事さえ困難です・・・
提供:長崎大学附属図書館
ここが堀割られたばかりの「弥八ヶ谷戸」です・・・右前方に見える丘が現在も当時の面影を残しています。手前(左側)の切り割られた崖はおそらく現在「神奈川県警機動隊」の敷地だと思われますが、後年にもっともっと掘り広げられているようです。
提供:長崎大学附属図書館
国道16号線から堀割川越しに見られるこの丘が、「弥八ヶ谷戸」の一部だったなんて、不思議な思いがします・・・私は朝な夕なにこの丘を眺めながら通勤していますが、何時見ても、そんな100年も前の事実が思い起こされてけっして退屈はしません。
中村町の山手から見た掘割川への分岐点です。左側に見える大きく湾曲しているのは現吉野町辺り、吉田新田の始まりの地、こんもりとした、お三の宮日枝神社が望めます。そして中村川がクイっと鋭角に左側に延びている先が堀割川になります・・・今では同じ場所から撮影してもこのような様子はとても垣間見る事さえ困難です・・・
提供:長崎大学附属図書館
ここが堀割られたばかりの「弥八ヶ谷戸」です・・・右前方に見える丘が現在も当時の面影を残しています。手前(左側)の切り割られた崖はおそらく現在「神奈川県警機動隊」の敷地だと思われますが、後年にもっともっと掘り広げられているようです。
提供:長崎大学附属図書館
国道16号線から堀割川越しに見られるこの丘が、「弥八ヶ谷戸」の一部だったなんて、不思議な思いがします・・・私は朝な夕なにこの丘を眺めながら通勤していますが、何時見ても、そんな100年も前の事実が思い起こされてけっして退屈はしません。
2008年08月03日
富良野のラベンダー・・・
埼玉在住の、こけしさんと言う親友が、北海道へ旅行して、富良野のラベンダー畑の美しさに携帯カメラを思わず向けて撮ったそうです。そしてあいつにも観せてやろうと送ってくれましたが、嬉しいことです・・・こんな私のことを思い出してくれる人もいるんだ・・・
ラベンダーの紫と、黄色と赤い花のコントラストがとても素敵ですね・・・こんな風景をこの目で見たいなぁー・・・17日に札幌まで行きますが、トンボガエリで景色も観ていられないし・・・こけしさん、ありがとうございます。
ラベンダーの紫と、黄色と赤い花のコントラストがとても素敵ですね・・・こんな風景をこの目で見たいなぁー・・・17日に札幌まで行きますが、トンボガエリで景色も観ていられないし・・・こけしさん、ありがとうございます。
2008年08月02日
喜連川(きつれがわ)社会復帰センター・・・
要するに刑務所です・・・民間の「セコム」と法務省が合体した画期的な刑務所・・・井上康生さんが、ダダダダーン!と居るような雰囲気のイメージでしたが、「セコム」が主としてハード(入れ物や設備)面を造り、ソフトではやはり、法務省の刑務官のように感じました・・・しかし、法務省の税金からの予算では決して出来ないような、すんばらしい設備でした・・・どんなにすんばらしくても、やっぱり重苦しいのは確かですけれどね・・・
むろん撮影は無理でしたので、パンフレットだけです・・・刑務所の本当の意味を知らないらしい大学生の団体が、面白半分に撮影しまくっていましたが、どうもそんな気にもなりませんでした・・・って当たり前かな・・・
宇都宮から東北本線で4駅位の氏家駅から、バスで30分位の場所にありますから、帰りに宇都宮名物の「餃子」を買って来て、早速焼いて食べました・・・その辺で売っている餃子と変わりませんが、何となくブランドが物を言うのでしょうか、美味しい感じがしました・・・
むろん撮影は無理でしたので、パンフレットだけです・・・刑務所の本当の意味を知らないらしい大学生の団体が、面白半分に撮影しまくっていましたが、どうもそんな気にもなりませんでした・・・って当たり前かな・・・
宇都宮から東北本線で4駅位の氏家駅から、バスで30分位の場所にありますから、帰りに宇都宮名物の「餃子」を買って来て、早速焼いて食べました・・・その辺で売っている餃子と変わりませんが、何となくブランドが物を言うのでしょうか、美味しい感じがしました・・・