2010年08月28日

花火の想い出・・・

私の幼少時に記憶が唯一残っていますのは、1歳~2歳の頃ですが、父か祖父に背負われた背中で、民家【住んでいた産業能率学校(現産能大学)の壁】に色とりどりに映った多摩川の花火でした・・・ものすごく怖かったし、やっとその壁に映った花火の光を恐る恐る観ていました。直接花火を観るのが怖くて、壁越しの花火だけが救いだったようにも思えます・・・60年もたった今思いますに、多分、折角両親や、祖父母が幼い私めを、花火に連れて行ったのは良いのですが、ドーンの花火の音で私は泣き出したのでしょう。そしてあわてて、私を連れて帰ったのでしょう・・・


そして、今から27年前の事、私の息子を、多摩川の花火に連れて行きましたっけ・・・二子多摩川の狭い河川敷でやっとのこと、場所を見つけて、落ち着いたのは良いのですが、一発目の花火がドドーン!!!と上がったとたんに、息子の口が、イカリングフライのようになって、大泣きし始めました・・・そして私はあわててイカリングの息子を抱いて我が家に帰りましたよ・・・懐かしい想い出です・・・face03  


Posted by shin344 at 22:47Comments(2)日記

2010年08月28日

再びスマートフォン戦争・・・

昨日、お昼過ぎに家を出て、フルチャージしたスマートフォンを懐にして(しかも電源をoffにして)伊勢佐木町を散歩と買い物と映画鑑賞して17時30分ふと、スマートフォンを見ますと何と、その時点で、電池が空っぽ、たった4時間でフルチャージからゼロチャージって信じられますか?しかも、その間、ネットやゲームで遊んだ訳ではなく、メールひとつ、通話ひとつした訳ではないのです・・・これって携帯の役割りすらないですよね。直ぐにAUショップへ飛び込みました・・・

電池は異常なし、本体の故障以外考えられませんが、このスマートフォンは他の携帯と扱いが違うらしくて、やれ、相手の連絡先データが消えるの、データが初期化するのと訳の分からない事ばかりショップのお方達は言います・・・挙句、契約解除まで口にするほど精神的苦痛を味わっている私に構わず、契約解除にはスマートフォン購入残債を払えの、違約金を払えのもう言いたい放題でしたね・・・何処の世界に不良品を売って置いてローンの残りを払えという理屈があるのか、全く不思議な論理です・・・結局、百歩も二百歩も譲って、今日修理に出しましたが、この修理でフルチャージから4~5時間でゼロになるような事が改善されなければ、もう、ショップの窓口でモンスタークレイマーとして、吼えまくります・・・icon08icon09

軽々に、スマートフォンなど購入した事(AUでスマートフォンを出す事、心待ちにしてましたのにね)、後悔しています今日この頃です・・・・

写真は「代車」です・・・こちらの方が今の私にとって余程使える代物ですよ・・・  


Posted by shin344 at 19:31Comments(0)日記

2010年08月27日

必死剣鳥刺し・・・・・

伊勢佐木町で、文房具そして、経済の本などなどを漁る一日でありました・・・ふと、映画案内のポスターを見ますと、この「必死剣鳥刺し」が、間もなく始まる時間ではないですか!!・・・

映画館に飛び込みました・・・伊勢佐木町辺りは、ミニシアターが沢山ありますから、ふと観たい映画を見つけると、こうやって飛び込めるのが嬉しいですね・・・しかもシニア割だし・・・

豊川悦司主役の素晴らしい映画でした・・・藤沢周平の歴史小説の映画化は沢山ありますけれど、これほど血なまぐさい映画化は今まで無かったのではないでしょうか・・・それもそのはずですよね・・・必殺ではなくて、必死剣ですから・・・ちょっとしゃべってしまいますが、「必死」は相手を殺す「必殺」はもちろんですが、その前に自分が死んでいる事を言います。まぁ、殺伐とした話題ではありますが・・・

昔から時代劇を観て思うのは、「刀」・・・いかにも、竹光に銀箔を張っただけのものと見える刀が多い中、この必死剣の刀は、ちょっと触れると、血が噴出す、切れ味がしっかりと画面から伝わって来ました・・・

そして藤沢映画に共通しますのは「海坂藩(うなさかはん)」と言う架空の東北地方の藩の下級武士の慎ましく静かな生活と、下級武士故の悲哀を思い切り表現していて、悲惨な最期にも関わらず、私もこれから、こんな生き様と死に様をしたいとつくづく思うのでありました・・・  


Posted by shin344 at 20:52Comments(0)日記

2010年08月27日

赤ごーや・・・

毎年、ごーやをスダレ代わりに作っていますが、収穫時期になったら、小まめに収穫しませんと、赤ごーやが出来上がってしまいます・・・




これが、普通のごーやです。普通とは言え、去年のごーやに比べてやや、緑が薄いように思いますが、これはそのような種類のものだそうです。


そしてこれが、赤ごーやです。つまり完熟してしまったごーやなんです・・・ごーやは完熟するとフルーツになると聞いて去年、恐る恐る口にしましたが、種の回りのゼラチン質のものがザクロのように甘いのです。ごーやは完熟前はご存知ニガウリと言う苦さが売りで私達が喜んで食べますが、完熟後はやはり、鳥に食べて貰わないと子孫が繁栄しないんでしょうね・・・


自然の不思議さをつくづく感じます・・・  


Posted by shin344 at 13:18Comments(2)日記

2010年08月21日

祭りの後・・・

昨日は職場での「お祭り」・・・私は焼きそば屋に変身しました・・・そして今年は、職員の家族も招待しました。家族、特に子どもに職場での父親の姿を見せる事は大事な事だと思いますから、とても良い企画ですね。思い返しますと、私の息子が幼い頃こんな企画があれば、きっと息子も父親が、どんな仕事をしているのか、分かったのかも知れません・・・



祭りの後の、手持ち花火です・・・祭りが終われば、もう関係ないと、部屋へ戻る人、テレビに熱中する人、色々です・・・




賑やかにお祭りが終わった後はやっぱり何となく寂しい余韻ですが、利用者さんや、職員の家族さん皆、楽しめたのでしょうか?・・・

  


Posted by shin344 at 10:14Comments(0)日記

2010年08月14日

流しそうめん・・・

「そうめん流し」なのか「流しそうめん」ですか、どちらでしょうか?・・・ライスカレーかカレーライスの話しのようにどうでも良い事ですけれど、私は「流しそうめん」の方が、流動的で好きです。「そうめん流し」は、「精霊(しょうろう)流し」のような行事名のように感じます・・・



と、言う屁理屈はどうでも良いのですが、この暑苦しい太陽がギラギラの中、少しでも涼しく過ごしたいと「そうめん流し」の行事を開催しました・・・

事前に最低のマナー、何時までも箸を流れに置いておかないとか、上流の人は少しは、下流の人に譲るとか色々な説明をしましたが、こういう楽しい催しに、皆さんは幼児に戻ってしまうらしく、何時までも流れに箸を置いてそうめんのダム湖を造ったり、すくうのが面倒になったのか、一番下の流れたそうめんを受けるザルから直接食べていたり、まぁ、色々でした・・・face03  


Posted by shin344 at 19:57Comments(1)日記

2010年08月12日

つぼみのような子・・・

職場に、19歳の子(子と言うと失礼ですが)が、職員として応募して来ました・・・今日面接をしましたが、来年卒業出来たら絶対に私の職場に勤めさせて頂きたいと言ってました・・・平成2年生まれですよ・・・face08



孫娘が私に居たとしましたら、この位の子が居ても決して不思議ではありませんね・・・私がまだ来年4月に生きてたら、または解雇されてなければ、この子と一緒に仕事をする事になるんでしょうね。何とも不思議な感覚ですが、何事も好い加減な我が職場の組織をしっかりと立て直して、若い力をどんどん育てなくてはならないと、つくづく感じました・・・  


Posted by shin344 at 19:22Comments(2)日記

2010年08月07日

大紙芝居展・・・

さいたまに住む私の親友のお父さんは、札幌近辺の紙芝居屋さんだったそうです・・・長い髭(この髭も集客の必須アイテムだったらしい)の髭を幼い友人は父のひざで、良くいじくったり、遊んだりしたそうですが、末っ子の友人は決して叱られなかったと懐かしそうな目をして語っていましたっけ・・・

私の紙芝居に対する想い出はあまりありません。太鼓をドンドンと叩きながらお客を集めていたのは良く見かけましたが、紙芝居を観る時のお約束のお菓子代を貰えなかったので、観に行きたいとは思いつつ、お菓子を買わない子はハエのように追っ払われるのがオチなので行きませんでした。

それでも、たまたま通り掛ったのか、お菓子代を持っていたのかは記憶が定かではありませんが、一度だけ、観ましたよ・・・薄皮センベイのようなものに水あめを挟んだお菓子が、紙芝居屋の引き出しから取り出される光景と演目が確か「ゴールデンバット」だった事が、「大紙芝居展」を観ている間によみがえって来ました・・・  


Posted by shin344 at 17:43Comments(0)日記

2010年08月06日

幼児虐待・・・

今は子育てなどから、ずっと遠くなりましたが、子育てって本当に楽しかったですね・・・私の息子が幼い頃、私と妻は自由業の共働きでしたので、妻が仕事の時は私が息子を看て、私が仕事の時はその逆・・・昨今あるような幼児虐待やら、子供を殺すなど、考えた事もありませんでした。いえいえ決して、幼児虐待の社会的問題云々を言いたいのではなくてもっと単純な事・・・私も、一度だけ息子を虐待しました・・・face10

自営していたのは、音楽教室でしたが、生徒さんが通って来てレッスン中にも関わらず、息子が泣き止まないのです。我が生業(なりわい)ももちろん大切ですし、泣き止まない息子も大切・・・生業をちょっと中断して息子をあやしましたっけ・・・腕に抱いて、「よしよし」としているまでは良かったのですが、なかなか泣き止みません。その一瞬、私の脳の一部が壊れたのか、魔が刺したのでしょうか、柔らかい布団の上に息子を落としてしまいました。その時の息子の顔を今でも夢にまで見ます・・・泣いていた顔の目がふっと開いたのです。その顔はこんなことを訴えてました。「えっ?僕はお父さんを信頼してただただ泣いているのに、何で、落とすの?」・・・これでその時の虐待が許されるとは思いませんが、あの時の息子の、私を刺すような目を忘れられません・・・face08

その時のことを息子が覚えているのかどうかは全く分かりませんが、あの虐待が脳に刻まれていたとしたら、どうしましょう?・・・face10  


Posted by shin344 at 19:29Comments(0)日記

2010年08月04日

ゲホゲホ・・・

午前11時に、玄関を入ると直ぐに目に付いたのが、「バルサン」の容器、そして9時バルサン開始、「換気願います」の老妻の書き置きがありましたっけ・・・宿直明けでクタクタの上、汗みずくの私、そんなのを無視して直ぐに浴室へ直行してシャワーを浴びはじめました。その内、目がシパシパして、咳が止まらなくなり、気持ちも悪くなり、浴室から脱出してトイレに駆け込み、嘔吐しました・・・

毒ガスにやられるってきっと、こういう事なんでしょうね・・・パンツも履かない恥かしい姿のまま、部屋中の換気をして、エアコンを最強にして、10分、やっと収まりましたが、危うく、ゴキブリと一緒に退治されてしまうところでした。

冗談抜きで、バルサンが人間にこれだけダメージを与えるなど、実感としてありませんでした。高齢者や体力の無い人にとっては、「たかがバルサンされどバルサン」、思い知りました・・・気をつけて下さいませface16

60年昔、今の子供の国、戦前は日本陸軍田奈弾薬庫の近くに住んでいましたが、川にこんなガスマスクが、ゴロゴロと転がって居ましたよ・・・  


Posted by shin344 at 18:46Comments(0)日記

2010年08月01日

龍馬伝・・・NHKの

今も、BSで観てしまいましたが、NHKとしては久し振りに素晴らしい作品だと思います。しかし、本当の事かどうかは分かりませんが、この「龍馬伝」は、主人公の福山龍馬が暗殺されるところで終わると聞きました。それは本当ですか?

それが本当だとしますと、この龍馬伝は、折角、脚本も舞台効果も素晴らしいし、龍馬役「福山雅治」さんもそこそこ頑張っているのに、それだけで終わってしまいます。

福山龍馬だけをクローズアップしたいのでしたら、それで終わっても良いのですが、龍馬伝の本当の良さは、龍馬は時代の狂奔の中で殺されてしまったけれど、龍馬の遺志を継いだ、色々な人々・・・ナレーションの岩崎弥太郎や、西郷隆盛達がどのように、弱小日本を外国の圧力から守ったかを放映すべきではないかと思います・・・

もしも、それで龍馬が中岡慎太郎と共に殺されたところで終わるようなら、もう私はNHKの時代ドラマは信用しませんし金輪際、観ない事にします・・・

福山雅治さん、ものすごく頑張っていますけれど、武市半平太が切腹して果てた後はちょっと精彩に欠けるように思えます・・・ハイicon09  


Posted by shin344 at 19:33Comments(0)日記