2009年09月28日

James Favre-Brandt17・・・

James Favre-Brandtらしき写真を手に入れられて以来、その写真に写る人の特定に執念を持たれていられる信州在住の方からお便りを頂きました。その写真には、James Favre-Brandtらしき外国人の他に、ジョン(中浜)万次郎、大山巌など、幕末の立役者が写っているそうですが、ジョン万次郎と大山巌は本当に頭が下がるような方法で確定されたのです。そしてJames Favre-Brandtらしき外国人の特定を目的に、27日日曜日わざわざ横浜の私のところを訪ねて下さいました・・・

しかし、私はJames Favre-Brandtの人となりとか、親族がどうされたなどの事に腐心するあまり、彼の若い頃の写真はほとんど持っていませんし、James Favre-Brandtと言うとこの右の晩年の写真だけが頭を過ぎります・・・確定をされたくて信州からお出でになりましたのに、ほとんどお役に立たなかったと思います。その方は、私にその怪物のような写真を手渡して空しく信州に帰られましたが、これからは、このブログを通して知り合えたJames Favre-Brandtの子孫の方やPhilippe NEESERさんや、兄CharlesFavre-Brandtの子孫の方に打診してみようと思いますが、果たして・・・・若い頃の写真としてある書物の中にはスイス国会議事堂の前でのスイス修好使節団結成の記念として写されたもの、兄CharlesFavre-Brandtと一緒に写ったものがありますがいずれも書物が古くて印刷がかなり荒いのです・・・残念ながらその方や、他に写り込んでいられる方の子孫のご要望で公開は出来ませんが、新たな私のJames Favre-Brandt探索の航海が始まったような気分です・・・船  


Posted by shin344 at 19:37Comments(0)横浜今昔物語

2009年09月05日

韓国料理・・・

昨日は宿直明けで昼に戻り、何となくテレビを点けたまま眠る準備をしていましたら、たまたま韓国ドラマ「食客」を放映していました。観る事もなくそのまま眠りに入るはずでしたが、やがてのめり込んでしまいましたよ。不覚face10・・・そして、今日、早速韓国料理屋へ飛び込んで、お昼を済ませました・・・何とノリやすいジジイだこと・・・



韓国料理屋さんの店の中には、こんな絵がありましたよ。何となく「食客」(今は牛肉勝負です・・)の一場面を思い出す感じです・・・


これは、冷え冷えの「冷麺」です。腰のあり過ぎるほど腰のあるのが冷麺の命です・・・


そして、これは「サムゲタン」です・・・鶏を朝鮮人参や棗の実、米などで骨まで崩れるほど煮込んだものです・・・漢字で書くと
「参鶏湯」・・・「参」は朝鮮人参、「鶏」、そして「湯」はスープの事。スタミナが付きそうですね・・・





そして更に、「食客」の時間帯は普通、テレビを観る事ができませんので、レンタルDVDの先の分を借りて来ました・・・楽しみの先延ばしをしないで、全部観てしまいましょう・・・年寄りは気が短いんだからね!!  


Posted by shin344 at 17:40Comments(4)日記

2009年09月05日

ボラ・・・

海に比較的近い中村川・・・引き潮の時は、川の底からメタンガスやらの発生があり、悪臭さえして来ますが・・・

満ち潮になり、海から大量の水が上がって来ますと途端に生き物の宝庫のようになります。水くらげの大群だったり、ボラの稚魚だったり、時には、魚屋で一匹600円位の魚も泳いでいます・・・ボラがボランティアで、岸辺の清掃なんてね・・・(寒)  


Posted by shin344 at 09:18Comments(4)

2009年09月04日

玉子の形・・・

「玉子型」・・・壊れにくい形(玉子のような薄い皮において)と物理学的には位置づけられるようですけれど・・・



そんな玉子型を見つけました・・・情報文化センターの庭です・・・これは、明治時代に敷設された下水管です。煉瓦を、積み上げて玉子型にして、周りをコンクリートで覆う、何かカマボコのような印象です・・・中下水道として使用されたらしいです・・・

James Favre-Brandtの商館からの生活用水も多分流された事でしょう・・・そういう意味で横浜今昔と位置付けます。見れば見るほど合理的に排水されるように思えます・・・



玉子型の偉大をこれを見ていると分かります・・・  


Posted by shin344 at 20:44Comments(0)横浜今昔物語

2009年09月02日

関東大震災・・・

1923年9月1日正午頃、関東一円に大地震が発生しました。横浜も都市部は壊滅的な被害を受けました・・・そして、今、調べているJames Favre-Brandtの商館も灰燼となりました・・・当時馬込に住んでいた祖母の話しから・・・【①馬込の家の二階に眠っていた幼い私の父は目も覚まさずに熟睡していたらしい、大物になるよこの子はと祖母は思ったらしいが、後の父の人生から鑑みますと、怖くて気を失っていた?②大森近辺の朝鮮人たちが、日本人に追い立てられていたのか、逃げ惑っていた・・・彼等の民族服の白が目に焼きついている・・・】

燃える県庁舎です・・・大きな道は今の日本大通りで通りを越えた奥はイギリス公使館(現開港資料館)手前は、逓信省の建物ですが、すっかり崩れ去ってしまっています・・・



       長崎大学付属図書館蔵


ほぼ、同じ角度から見た現在の県庁舎です・・・手前のビルは今でも港郵便局です・・・情文センタービル8階から撮影しました・・・



燃える正金銀行です・・・正金銀行は、現在神奈川県立歴史博物館になっています・・・

火の赤が妙に危機感を煽りますが、これは白黒の写真に彩色をしたものです・・・今のカラー写真よりむしろ、迫力はありますね・・・

       長崎大学付属図書館蔵


現在の神奈川県立歴史博物館です・・・40年位前には神奈川県立博物館でした。そして当時楽器のセールスをしていた私のサボりの場所、隠れ場所でしたっけ・・・当時の雇い主さんゴメンナサイ・・・face10

そんな事はどうでも良いのですが・・・






9月1日は今でも「防災の日」として、各地で防災訓練などが盛んに行われていますが、関東地方及び日本国の何かが変わるような大事件のひとつでもあった訳です・・・  


Posted by shin344 at 17:29Comments(2)横浜今昔物語