2024年04月26日
西海君と~~自転車に乗って・・・
もう60余年も前に私は横浜近郊の「N」と言う町に住んでいました。引っ越して来たばかりで周囲に親しい友も居なかったのですがある日私よりずっと年下の西海君と言う子と知り合いました。
でも西海君とどんな知り合い方をしたのか、どんな話をしたのかは全く記憶にありませんが、ある時二人で「折本貝塚」へ行こうという事になり往復30
㎞の道程をいわゆる「ママチャリ」でえっちらおっちらと半日かけて出かけました。
西海君は当時「小児ぜんそく」でしたが私は全くその事は意に介さずに西海君も弱音を吐かずにいました。その「折本貝塚」で何をしたのかも全く記憶にありませんし、西海君ももしかして帰った後、ぜんそくが悪化して死ぬ思いをしたのか、闘う力を得たのかはその事も全く分かりませんでした。
その後、西海君とも何となく遊ぶ事も親しく話す事もあありませんでした。
二人とも大人になったある日、親の稼業を継いで立派な社長になった西海君とすれ違いお互いに会釈を交わした程度でしたが、あの日の冒険を私は忘れませんでしたが、西海君は果たして覚えているのだろうか?・・・
でも西海君とどんな知り合い方をしたのか、どんな話をしたのかは全く記憶にありませんが、ある時二人で「折本貝塚」へ行こうという事になり往復30
㎞の道程をいわゆる「ママチャリ」でえっちらおっちらと半日かけて出かけました。
西海君は当時「小児ぜんそく」でしたが私は全くその事は意に介さずに西海君も弱音を吐かずにいました。その「折本貝塚」で何をしたのかも全く記憶にありませんし、西海君ももしかして帰った後、ぜんそくが悪化して死ぬ思いをしたのか、闘う力を得たのかはその事も全く分かりませんでした。
その後、西海君とも何となく遊ぶ事も親しく話す事もあありませんでした。
二人とも大人になったある日、親の稼業を継いで立派な社長になった西海君とすれ違いお互いに会釈を交わした程度でしたが、あの日の冒険を私は忘れませんでしたが、西海君は果たして覚えているのだろうか?・・・
Posted by shin344 at 16:37│Comments(0)
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