2013年04月14日
横浜を掘った英国人学者・・・3番目の妻「アデル」
N(二ール).G(ゴードン)マンローは、エジンバラ大学医学部を卒業し船医として医療活動をし、明治24年(1891)に来日します・・・そして横浜では医療活動の傍ら、三ツ沢貝塚や根岸貝塚などを発掘しました。
その後マンローは長野県軽井沢へ、そして北海道二風谷(にぶたに)で過ごし、軽井沢では「マンロー病院」の院長として、二風谷ではアイヌの医療に尽力しています・・・マンローはまた4人の妻と結婚していますが、3番目の妻が、私の研究しているJames Favre-Brandtの次女(アデルFavre-Brandt)です。マンローの研究家は数人居るそうですが、アデルの写真だけはないそうで、この展示会を開いている横浜歴史博物館からの依頼で私の所蔵しているアデルの写真を提供しました・・・
そのアデルですが、決して幸せな結婚生活ではなかったらしく、やがて精神を病んでしまい、マンローの元を去り、フランスでかの有名な精神科医フロイトの治療を受けております・・・フランスへ去る際も姉のソフィー一人が見送りやがてフランスで亡くなったアデルの遺骨もソフィーが日本に持ち帰り、今も横浜外人墓地で姉ソフィーと共に眠っております・・・
そんな、N.G.マンロー特別展は5月26日まで横浜市歴史博物館で開催されて居ります・・・
その後マンローは長野県軽井沢へ、そして北海道二風谷(にぶたに)で過ごし、軽井沢では「マンロー病院」の院長として、二風谷ではアイヌの医療に尽力しています・・・マンローはまた4人の妻と結婚していますが、3番目の妻が、私の研究しているJames Favre-Brandtの次女(アデルFavre-Brandt)です。マンローの研究家は数人居るそうですが、アデルの写真だけはないそうで、この展示会を開いている横浜歴史博物館からの依頼で私の所蔵しているアデルの写真を提供しました・・・
そのアデルですが、決して幸せな結婚生活ではなかったらしく、やがて精神を病んでしまい、マンローの元を去り、フランスでかの有名な精神科医フロイトの治療を受けております・・・フランスへ去る際も姉のソフィー一人が見送りやがてフランスで亡くなったアデルの遺骨もソフィーが日本に持ち帰り、今も横浜外人墓地で姉ソフィーと共に眠っております・・・
そんな、N.G.マンロー特別展は5月26日まで横浜市歴史博物館で開催されて居ります・・・
Posted by shin344 at 18:45│Comments(0)
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