2015年02月01日
日本民家園・・・
ふと、思い立って生田緑地内にある「日本民家園」を訪れました・・・私の子どもの頃はこんな藁葺き屋根の家が沢山ありましたけれど、段々と姿を消して行く過程の中、あまり気にもしないでいました・・・しかしここ民家園であらためてどっしりした藁葺きや茅葺きの民家を見るとその頃の思い出に浸る事もできます・・・
「〇〇君遊ぼう」と友達を訪ねると、こんな陽の当たる縁側で友達のお母さんが、小麦粉に砂糖を混ぜて焼いただけの「ヤキモチ」なるものを、ご馳走して暮れましたっけ・・・どんなお菓子よりも美味しかった・・・
ある民家の内部です・・・かつては、人々が生き生きと暮らして居たのでしょうね・・・生があり死があり愛があり憎しみも悲しみもあったでしょう・・・そして子供達の声が響き渡って居たかもしれません・・・何代も何代も・・・
かつては妻の実家もこういうどっしりした藁葺き屋根の立派な民家でした・・・残して置けば良いのになどと思った事もありますが、こういう民家に住むとなると、維持の問題とか色々と大変だろうと思います・・・30年程前に建て替えられましたが、今度は原発事故で再び廃屋になりました・・・
突然ですが、中原街道の庄屋「原家」の屋敷跡を以前アップしましたが、ここから移築されたお屋敷がここにありました・・・
こんな立派な屋敷があったんですね・・・
幼い子どもや若者も沢山来ていました・・・かろうじてこう言う家での生活を知っている私たちは割合に身近に懐かしく見学しましたが、子どもや若者はかつて日本人がこう言う民家で生活していたという事、一体どう受け取るんでしょうか・・・
「〇〇君遊ぼう」と友達を訪ねると、こんな陽の当たる縁側で友達のお母さんが、小麦粉に砂糖を混ぜて焼いただけの「ヤキモチ」なるものを、ご馳走して暮れましたっけ・・・どんなお菓子よりも美味しかった・・・
ある民家の内部です・・・かつては、人々が生き生きと暮らして居たのでしょうね・・・生があり死があり愛があり憎しみも悲しみもあったでしょう・・・そして子供達の声が響き渡って居たかもしれません・・・何代も何代も・・・
かつては妻の実家もこういうどっしりした藁葺き屋根の立派な民家でした・・・残して置けば良いのになどと思った事もありますが、こういう民家に住むとなると、維持の問題とか色々と大変だろうと思います・・・30年程前に建て替えられましたが、今度は原発事故で再び廃屋になりました・・・
突然ですが、中原街道の庄屋「原家」の屋敷跡を以前アップしましたが、ここから移築されたお屋敷がここにありました・・・
こんな立派な屋敷があったんですね・・・
幼い子どもや若者も沢山来ていました・・・かろうじてこう言う家での生活を知っている私たちは割合に身近に懐かしく見学しましたが、子どもや若者はかつて日本人がこう言う民家で生活していたという事、一体どう受け取るんでしょうか・・・
Posted by shin344 at 16:55│Comments(2)
この記事へのコメント
もう2月に入りました。
なんだか月日が急行列車のごとく感じます。
やはり年のせいでしょうか。
写真の古民家を見ると、昔を思い出しますね。
今は地方の農村に行っても、藁ぶき屋根の家は
ありませんね。懐かしいです。
横浜市内でも、古民家を保存して一般に公開して
いる所があります。でもご指摘のように維持費が
かかるようですね。でも日本の家屋の歴史です。
残しておきたいですね。
なんだか月日が急行列車のごとく感じます。
やはり年のせいでしょうか。
写真の古民家を見ると、昔を思い出しますね。
今は地方の農村に行っても、藁ぶき屋根の家は
ありませんね。懐かしいです。
横浜市内でも、古民家を保存して一般に公開して
いる所があります。でもご指摘のように維持費が
かかるようですね。でも日本の家屋の歴史です。
残しておきたいですね。
Posted by なっちゃん at 2015年02月02日 15:51
☆なっちゃんさん・・・
本当にもう2月ですね。私も毎日こんなに早く
過ぎ去って良いものかって感じます・・・
私らの年代は身罷るのにどんどん近づく
事にこんな急行列車で良いものか
なんて感傷を思いますが、どうせその内に
身罷るのですから、もっともっと面白おかしく
生きていたいですねー・・・
本当にもう2月ですね。私も毎日こんなに早く
過ぎ去って良いものかって感じます・・・
私らの年代は身罷るのにどんどん近づく
事にこんな急行列車で良いものか
なんて感傷を思いますが、どうせその内に
身罷るのですから、もっともっと面白おかしく
生きていたいですねー・・・
Posted by shin344 at 2015年02月03日 23:17