2015年09月28日
梶原景時・・・
さて、この萬福寺には、鎌倉幕府を開いた源頼朝の忠臣「梶原景時」のお墓もあります・・・
梶原景時くらい後世の評価が分かれる武将も珍しいです・・・頼朝が敗れた石橋山の戦いでは平家側の武将でしたが、ここで頼朝の命を救った事により、後に源頼朝の重臣に任ぜられます・・・梶原景時が居なければ、石橋山の戦いで頼朝は殺され、従って鎌倉幕府はなかったとも言えるかも知れません・・・
さて、梶原景時は平家を滅ぼす「壇ノ浦の戦い」で頼朝の弟義経と対立し、「義経を陥れる讒言」と称する報告を兄頼朝にします・・・義経は後に身を亡ぼすように「オレが、オレが」とかなり目立ちたがりの性格だったようですがその辺を指摘したようです・・・
江戸時代、「判官びいき」の歌舞伎で義経の人気が上がると梶原景時は希代の悪将されてしまいます・・・後に歴史的評価の変わる人が沢山いますが、皆その時代時代を懸命に生きていたのでしょうね・・・
萬福寺と梶原景時の関係はいまひとつ分かりませんが、何でも梶原氏ゆかりのお寺だそうです・・・
梶原景時くらい後世の評価が分かれる武将も珍しいです・・・頼朝が敗れた石橋山の戦いでは平家側の武将でしたが、ここで頼朝の命を救った事により、後に源頼朝の重臣に任ぜられます・・・梶原景時が居なければ、石橋山の戦いで頼朝は殺され、従って鎌倉幕府はなかったとも言えるかも知れません・・・
さて、梶原景時は平家を滅ぼす「壇ノ浦の戦い」で頼朝の弟義経と対立し、「義経を陥れる讒言」と称する報告を兄頼朝にします・・・義経は後に身を亡ぼすように「オレが、オレが」とかなり目立ちたがりの性格だったようですがその辺を指摘したようです・・・
江戸時代、「判官びいき」の歌舞伎で義経の人気が上がると梶原景時は希代の悪将されてしまいます・・・後に歴史的評価の変わる人が沢山いますが、皆その時代時代を懸命に生きていたのでしょうね・・・
萬福寺と梶原景時の関係はいまひとつ分かりませんが、何でも梶原氏ゆかりのお寺だそうです・・・
Posted by shin344 at 12:27│Comments(1)
│日記
この記事へのコメント
こんばんは。
腰越の万福寺に、お出かけになったんですね。
歴史的にも古いお寺です。
時々鎌倉には出かけますが、その寺々にも色々な
歴史がありますね。そんな歴史を振り返りながらの
散策も、心の癒しになります。そんな環境に惚れて
鎌倉に出かけるのかもしれません。
腰越の万福寺に、お出かけになったんですね。
歴史的にも古いお寺です。
時々鎌倉には出かけますが、その寺々にも色々な
歴史がありますね。そんな歴史を振り返りながらの
散策も、心の癒しになります。そんな環境に惚れて
鎌倉に出かけるのかもしれません。
Posted by なっちゃん at 2015年10月01日 22:20