2011年03月20日

3・11・・・・

3月11日当日お昼前後は職場の木工所で、ドアーの修理とペンキ塗り・・・うん?私の本業は何だっけ?とふと考えていましたが、ペンキを塗り終えて、作業着を着替えて木工所を出ようとしたその瞬間、揺れが来ました、最初はめまいかと思いました。ああ!遂に脳梗塞が襲って来たかと観念した時、室内の利用者さん達が建物から逃げ出して来ましたので初めて大地震を自覚しました。その後はもう無我夢中で、直ぐに築40年以上の利用者さんの住処を駆け回って誘導したようです・・・

3・11・・・・
幸いな事に物も倒れず、ショック死する人も居なかったので一安心しましたが、テレビを点けて見ますと、大津波が、仙台の田畑を舐めるようにどんどんと移動していましたっけ・・・この瞬間にも、1万人以上の人が、上空から見るとまるでスローモーション映像のように見えた大津波に呑み込まれて亡くなっていたんですね・・・

仙台にいる息子夫婦の事をまず心配して、電話をしても当然通じず、次に浪江町の親戚にかけてもダメ、我が家もダメ・・・
浪江の親戚は海から大分離れているので、揺れさえ乗り越えれば大丈夫かな、と思ったのは大誤算・・・原発がメチャメチャで、
一週間後の今、浪江町の住人3人が私のところに避難しています・・・4人が、姪のところに・・・

ところで、問題のスマートフォン、携帯のアドレスが使用できなくなったデメリットをこの大地震で大いに感じました。息子夫婦は転勤族なので携帯しか持っていませんから、安否の連絡が、老妻の携帯に入ったのにはキレました。3・11の翌日、auへ駆け込んで、役に立たないスマートフォンなどいらないから、普通の携帯に戻してくれと、ねじ込みに行きましたら、案外あっさりと了解して、懐かしの携帯に変えました。スマートフォンですか?子どもが遊び飽きた玩具のように、その辺に放り出してあります・・・

原発のお陰で潤っていた町・・・双葉町大熊町浪江町等、海岸の津波犠牲者もそのままで人っ子一人居ないそうです・・・我が家に来た義兄貴が、可愛がっていた犬、ニワトリ、まさか一週間も帰れないとは思わず、鎖に繋いだまま、ニワトリ小屋に押し込めたまま・・・今頃は死んでるだろうなぁーと悲しい顔をしていました・・・一刻も早く被災地が復興しますように祈ります・・・天罰などとのたまわったバカ者や、人の居ないこれらの人家で火事場泥棒する人でなしへの天罰は直ぐに下るでしょうし・・・

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Posted by shin344 at 12:06│Comments(0)日記
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