2008年10月05日
真景横濱今昔・・・青木橋
横浜、関内、桜木町から少し外れた「横浜」です。つまり現在横浜駅とよばれる周辺ですが、実は私、子どもの頃から横浜に住んでいながら、同じ横浜市でも北部の農村地帯でしたから、当時は横浜の中心部と言えば、この横浜駅周辺だと思っていました・・・もっとも、ここには東海道も通っていますから、本来この辺りが中心(ヘソ)になるべきだったのでしょうが、当時の幕府としては、元々気乗りのしない開国に東海道と言う、重要路線の要所、旧神奈川宿を明け渡す気もありませんでした。それで、この地より離れた「横浜村」の地に長崎の出島的意味を含めて外国人居留地を設けましたが、ご存知の通りの発展で、横浜と言えば、関内、桜木町、そして今は「みなとみらい地区」も含めた地域に代表される事になりました。
この写真は、権現山城跡(現幸ヶ谷公園)から写されています。正面の橋は、東海道の青木橋です・・・現在の横浜駅西口周辺は、まだまだ内海になっています。鉄道の軌道が手前から青木橋をくぐり、前方へ延びていますが、これは開通したばかりの新橋~横浜(現桜木町)の鉄道です・・・
提供:長崎大学附属図書館
現代の権現城跡(幸ヶ谷公園)から撮影しましたが、残念ながら、山頂からの眺望は全くできませんでした。木々が生い茂って居た事と青木橋方面に建物がある事からでしたので、少し上の写真より低い位置ですが、公園へ登る途中の階段から撮影しました。正面の駅舎は京浜急行「神奈川駅」で、その場所に現代の青木橋が架かっています。当時の内海は今や高層ビル群ですけれど、何となく当時の雰囲気は感じられるように思います・・・
この写真は、権現山城跡(現幸ヶ谷公園)から写されています。正面の橋は、東海道の青木橋です・・・現在の横浜駅西口周辺は、まだまだ内海になっています。鉄道の軌道が手前から青木橋をくぐり、前方へ延びていますが、これは開通したばかりの新橋~横浜(現桜木町)の鉄道です・・・
提供:長崎大学附属図書館
現代の権現城跡(幸ヶ谷公園)から撮影しましたが、残念ながら、山頂からの眺望は全くできませんでした。木々が生い茂って居た事と青木橋方面に建物がある事からでしたので、少し上の写真より低い位置ですが、公園へ登る途中の階段から撮影しました。正面の駅舎は京浜急行「神奈川駅」で、その場所に現代の青木橋が架かっています。当時の内海は今や高層ビル群ですけれど、何となく当時の雰囲気は感じられるように思います・・・
Posted by shin344 at 09:36│Comments(0)
│横浜今昔物語