2018年05月12日
こどもの国Ⅲ・・・南寮中寮北寮・・・
私の子供の頃の記憶には奈良町に南寮(なんりょう)と北寮(ほくりょう)と言う長屋がありました・・・長屋と言いましたが宿舎ですね・・・

南寮には私の同級生も住んでいまして訪れた記憶もありますが、当時は南寮も北寮も朝鮮族の人々が多く住んで居たようです・・・
両寮とも戦後は確かに朝鮮族の人々が住んで居たようですが、戦前の田奈部隊時代には弾薬廠で従事する人たちの寮だったようです・・・
北寮の人たちとの係わりはあまり記憶にありませんが、当時、この陸軍病院の長屋に引っ越してすぐに、誰かとつるんだのかは不明ですが朝鮮族の子どもを苛めたようで、その子の親が猛烈に怒り、私は近くの防空壕に避難しました・・・
その後私はこの地図にある「杉山神社」下に住みました・・・今の恩田駅辺りでしょうか?・・・ここでの記憶も強烈に残っています・・・
南寮や北寮そして中寮までありますが・・・ここは朝鮮族のお方たちの住む長屋だとずっと思ってきましたが、「田奈部隊弾薬弾薬廠」だった頃はここで従事する人たちの宿舎だったんですね・・・

南寮には私の同級生も住んでいまして訪れた記憶もありますが、当時は南寮も北寮も朝鮮族の人々が多く住んで居たようです・・・
両寮とも戦後は確かに朝鮮族の人々が住んで居たようですが、戦前の田奈部隊時代には弾薬廠で従事する人たちの寮だったようです・・・
北寮の人たちとの係わりはあまり記憶にありませんが、当時、この陸軍病院の長屋に引っ越してすぐに、誰かとつるんだのかは不明ですが朝鮮族の子どもを苛めたようで、その子の親が猛烈に怒り、私は近くの防空壕に避難しました・・・
その後私はこの地図にある「杉山神社」下に住みました・・・今の恩田駅辺りでしょうか?・・・ここでの記憶も強烈に残っています・・・
南寮や北寮そして中寮までありますが・・・ここは朝鮮族のお方たちの住む長屋だとずっと思ってきましたが、「田奈部隊弾薬弾薬廠」だった頃はここで従事する人たちの宿舎だったんですね・・・
2018年05月12日
こどもの国Ⅱ・・・
私は多分前にも投稿したと思いますが、この田奈部隊弾薬補給廠のすぐ前にあった陸軍病院に住んでいたのです・・・今から64~66年前のお話しです・・・その場所は私の飛び飛びの記憶の中に埋もれてしまったのですが、こどもの国前の駐車場になっています・・・

向かって右側が私の住んでいた「病院跡」・・・前に並んでいるのは当時同じ病院跡の長屋に住んでいた「小川さん」や「岩井さん」です・・・涎かけの一番小さいのが私・・・3~4歳頃です・・・
それは良いとして、左側に見える一帯が田奈部隊弾薬廠ですが、当時は米進駐軍の駐屯地でもありました・・・

上の写真から2~3年くらい経った頃でしょうか・・・私よりずっとお兄さんの岩井よしあきさんと写りました・・・
ここで、気になりますのは岩井さんや私ではなく遠くに見えるゲートです・・・今ではここ辺りが「こどもの国」入口になっていますがここは当時進駐軍の弾薬を運び込む列車の入り口だった記憶があります・・・
これが私の現「こどもの国」の前の病院跡地に住んでいたという事なんですが、どうした経緯でここに住むことになったのかは全く不明ですが、私の叔父が陸軍軍医だった事を考えますと、もしかして叔父に生かされたのかもって思う訳です・・・
因みに私が住んでいた部屋は手術室で、床がリノリュームと言う物質でした・・・その後も版画の材料でこのリノリュームを手にする度にこの住まいの事を思い出します・・・

向かって右側が私の住んでいた「病院跡」・・・前に並んでいるのは当時同じ病院跡の長屋に住んでいた「小川さん」や「岩井さん」です・・・涎かけの一番小さいのが私・・・3~4歳頃です・・・
それは良いとして、左側に見える一帯が田奈部隊弾薬廠ですが、当時は米進駐軍の駐屯地でもありました・・・

上の写真から2~3年くらい経った頃でしょうか・・・私よりずっとお兄さんの岩井よしあきさんと写りました・・・
ここで、気になりますのは岩井さんや私ではなく遠くに見えるゲートです・・・今ではここ辺りが「こどもの国」入口になっていますがここは当時進駐軍の弾薬を運び込む列車の入り口だった記憶があります・・・
これが私の現「こどもの国」の前の病院跡地に住んでいたという事なんですが、どうした経緯でここに住むことになったのかは全く不明ですが、私の叔父が陸軍軍医だった事を考えますと、もしかして叔父に生かされたのかもって思う訳です・・・
因みに私が住んでいた部屋は手術室で、床がリノリュームと言う物質でした・・・その後も版画の材料でこのリノリュームを手にする度にこの住まいの事を思い出します・・・