2013年07月31日
フランソワ・ペルゴⅡ・・・
前回フランソワ・ペルゴの事を記事にしましたが、この記事はジラールペルゴ社日本総代理店ソーウインドジャパン社から縁会って提供された資料によるものが大です・・・さて、前回の記事で、フランソワ・ペルゴが時計取引に希望を持って来日したものの、当時不定時法の日本での商売はほとんど成り立たず、生活の為に他の商売に手を出さざるを得ませんでした・・・手を組んで商社を立ち上げたエドワード・シュネルは当時混乱を極めた幕末日本での銃などの兵器に活を見い出し、フランソワ・ペルゴは炭酸飲料会社でありました・・・ここに珍しいペルゴの炭酸飲料会社の宣伝広告があります・・・
1870年(明治3年)に設立されたこのペルゴの炭酸飲料会社は当時のパリやロンドンの一流会社のレシピを使って炭酸飲料を作る日本で唯一の会社となり、東京へも進出したそうです。
そしてまたこの会社では色々な種類のシロップやワイン、アブサンなども取引したそうです・・・
そこで、呑ん兵衛の私は異常反応・・・あの「アブサン」がスイスの特産酒とは、今まで知りませんでした・・・緑色の極めてアルコール度数の高いあの悪魔のようなお酒・・・若い頃、飲み屋でお猪口一杯で腰が抜けるよと言われて・・・挑戦したことがありましたが、腰が抜けたかどうかの記憶はないものの、小さなグラスにアブサンが注がれただけで、飲み屋中にアブサンの強烈な臭いが漂ったのを思い出しました・・・
前回の記事、友人?または助手の「半蔵」と言う人物が誰なのか、フランソワのお墓の横の「エリザ」と刻まれた小さな墓標が誰のものなのか、まだまだ分からない事だらけのフランソワ・ペルゴさんです・・・

1870年(明治3年)に設立されたこのペルゴの炭酸飲料会社は当時のパリやロンドンの一流会社のレシピを使って炭酸飲料を作る日本で唯一の会社となり、東京へも進出したそうです。
そしてまたこの会社では色々な種類のシロップやワイン、アブサンなども取引したそうです・・・
そこで、呑ん兵衛の私は異常反応・・・あの「アブサン」がスイスの特産酒とは、今まで知りませんでした・・・緑色の極めてアルコール度数の高いあの悪魔のようなお酒・・・若い頃、飲み屋でお猪口一杯で腰が抜けるよと言われて・・・挑戦したことがありましたが、腰が抜けたかどうかの記憶はないものの、小さなグラスにアブサンが注がれただけで、飲み屋中にアブサンの強烈な臭いが漂ったのを思い出しました・・・
前回の記事、友人?または助手の「半蔵」と言う人物が誰なのか、フランソワのお墓の横の「エリザ」と刻まれた小さな墓標が誰のものなのか、まだまだ分からない事だらけのフランソワ・ペルゴさんです・・・
Posted by shin344 at 10:50│Comments(0)
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