2007年01月10日

吉田新田物語11・・・掘割川4

堀割川varで、留まって居りますが、吉田新田埋め立ての締めくくりの場所、「南一ツ目沼」の埋め立てに、中村の丘切り割りと堀割川整備の土砂が使われたこととて、深い因縁を感じて、集中しております。吉田新田物語11・・・掘割川4さて、この中村の切通し(以後弥八が谷戸切り割りと言います)と、掘割川の開削の工法ですが、慶応元年(1865)に始まった横須賀製鉄所の工事関連資料によりますと、山地掘削は人力、河川海上などではフランス製浚渫(しゅんせつ)船・・・泥浚船・・などが使われ、外国人技師も雇われていますが、弥八が谷戸切り割りの始まった明治3年ではまだ、このような機械力は緒についたばかりでした。ほとんどは、人力による土砂掘削および牛馬車・土運船などによったものと思われます。日本には独自の農業・鉱山・河川や城郭築造技術がありましたから機械化技術に依存するまでもなく可能だったはずです。先に述べましたが、イギリス人技師が、「この工事我々に任せれば3年が3ヶ月でしてのけるのに・・・」と言ったとの逸話は、当時の外国の技術力(あくまでも日本国内に於けるという事で・・)と日本の技術力比較から考察して見ますと、多少の誇張はありそうに思えます。
画像は、弥八が谷戸の崖(根岸米軍住宅側)から磯子方面を望みます。遠くに見える突出した建物は磯子プリンスホテルですよビル

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Posted by shin344 at 18:20│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
横須賀製鉄所で思い出しましたが、よく散歩している近所のヴェルニー公園(ダイエー横)にヴェルニー記念館という小さな資料館があって、そこで 旧横須賀製鉄所について 見た覚えがあります。
そういわれると ヴェルニーはフランス海軍の技術者ですよね~。 横浜ともこういう風に繋がっていたんですね。
Posted by Ziggy at 2007年01月11日 08:51
☆Ziggyさん。そうですね。横浜と横須賀は不思議な縁ですね。日本初の近代的製鉄所を横須賀に造ったのは慶應元年ですよね。その時、横浜からフランス製の浚渫船などを回送したりしてますし・・ブェルニー公園の資料館てあるんですねー。今度行ってみたいです。確か、フランソワ・レオンス・ブェルニーさんはフランス公使だったかと思いますが、ブェルニーさんと日本の外国奉行小栗上野守さんの記念式典が去年あったようですよね。
Posted by scemo3440 at 2007年01月11日 11:19
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