2007年03月05日

「象の(が)鼻」について・・・

「象の鼻」という一風変わった名称は、横浜開港以前は現在の桜木町近辺にありました。「象の(が)鼻」について・・・



以前、吉田新田物語でお話ししましたが、現在の元町辺りから延びた「州乾(干)島」と言われる砂州の先端に「象の(が)鼻」がありましたが、この「象の(が)鼻」今では埋め立てられて影も形もありません。
「象の(が)鼻」について・・・


その後、横浜開港に伴い波止場として築造されたのが、この新「象の鼻」です。築造当初は、「イギリス波止場」という名称だったようです。この図は明治15年位の横浜港の地図ですが、二本の象の鼻が海に突き出している事が分かります。当時の荷揚げは、大きな船は接岸せずに沖に停泊し、小舟がこの波止場を往復して行いました。その後、大きな方の突堤の先が大桟橋になって接岸できるようになりました。


この場所は現在の横浜公園(横浜スタジアムを含みます)です→
「象の(が)鼻」について・・・

この、「象の鼻」跡が、驚きですが、しっかりと残っています。写真に向かって左側が小さい方の「象の鼻」跡、そして右側は大きい方の「象の鼻」跡です。奥の方に見えるのが大桟橋です。大桟橋と赤レンガ倉庫に人気を奪われた感はありますが、私にとってはこの「象の鼻」跡地が大切な場所の一つです。

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Posted by shin344 at 12:16│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
今度大桟橋を歩く事があれば ちょっと気をつけて 象の鼻跡を見てみたいとおもいます。
どんどんすごいスピードで進化を遂げている横浜ですが、こういう場所は昔の横浜の面影を残してほしいですね。
Posted by Ziggy at 2007年03月08日 21:13
☆Ziggyさん。残っている埠頭の「象の鼻」はわずかですが、ここに艀が行き来し、荷物が下ろされたり積み込まれたり、賑わっていた様子が大桟橋と山下公園を結ぶ歩道橋の柱の部分に、描かれていますよ。それも是非ご覧になって見て下さいね。
Posted by scemo3440 at 2007年03月09日 19:24
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